二郷神社   – にごうじんじゃ –

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 当神社の例祭は、秋の休日で氏子総出でよく賑わいます。山車、子ども御輿、婦人部の手踊り、小学生の浦安の舞の後、皆神社へ集合したところ餅撒きを行います。また夏祭は昔より自生する茅萱で茅の輪を作り、涼を呼ぶ茅の輪くぐりの神事を行い、子ども向けのジュース、昼花火、子ども向け菓子、御供等で賑わいます。大晦日から元旦にかけては1000人ほどのお参りで賑わいます。

由 緒

 当社の創建の年月は詳らかでないが、一説に第92代後宇多天皇の弘安5年(皇紀1942年)と伝えられており、郡中の国学者野地義智の著書「北牟婁郡誌」には「殿内ニ古キ棟札一枚アリ、表面ニ二天八王子トアリ、両脇二梵字参拾字計リヲ書キシ、裏二ハ国家ノ大難神佑ニ依リテ平定ス、里民奉酬シテ此ノ御社ヲ建立ス、弘安五年壬午ノ元霜月三日、玄山法印敬白トアリ」と著されている。そこで当社の御創建について見逃してならないのは蒙古襲来である。我国の興廃を占うこの国難、第一次蒙古襲来「文永の役」(文永11年10月、皇紀1934年)であり、第二次蒙古襲来「弘安の役(弘安4年、皇紀1941年)である。当時の国民はこの二度にわたる外敵の襲来にあわてたが、幸運にも「神風」の御加護により、不滅の歴史が継承され、国民のすべてが、神国日本に生を享けた幸せに歓喜したのである。これを契機として、御神徳に報いる気運が昂まり、当地においてもこれに洩れず「弘安の役」の翌年、即ち弘安5年に神社を創建し国家の隆昌と繁栄とを祈念したことが諾けるわけである。
 当社は古来から現在地に鎮座し、山本神社或いは二天八王子宮と称し、二郷村一村の氏神、産土神として代々、氏子、崇敬者の尊崇を集めた。明治維新の頃より山本神社と奉称されていたが、明治47年7月4日、境内社として祀られていた殿州社、猪口社、山ノ神社、浅間社の4社を本社に合祀の上「山本神社」と単称することを許可された。、同40年11月28日には字名倉に鎮座の天之宮神社、同境内社之金刀比羅神社を本社に合祀、明治41年5月5日付を以て「二郷神社」と改称され、天之宮神社は昭和26年、旧社地名倉へ御還座になり、二郷神社境内社として信仰厚く祀られ、現在に至っている。
鎮座地 三重県北牟婁郡紀北町東長島841番地1
電話番号 0597-47-0828
御祭神 正哉吾勝々速日天之忍穂耳命、金山彦命、大山津見命、木之花咲耶姫命、大国主命、少彦名神
祭祀 11月23日
夏祭 7月15日前後の日曜
アクセス JR「紀伊長島」駅下車、徒歩10分。三重交通バス「すずらん前」下車、徒歩5分