午の砂かけ祭

 鈴鹿市甲斐町に鎮座の夜夫多神社(宮司 勝田真人)では、古来二月十七日の祈年祭が行われる日の夜、境内において「午の砂かけ祭」と呼ばれる伝統行事が行われてきた。
 この「午の砂かけ祭」は、予め境内に四トンの砂を入れ、そこを水田に見立て、昔ながらの田起こしから田植までを、地元の人で賑わう境内で再現するものである。この行事を、この神社で「御鍬」と呼んでいて、神社に古くより伝えられている 「御鍬目録」に従い、宮司がそれを一節ずつ唱えて一連の作業が進められるのである。その目録の最初の一節に「家わらの田主やその鍬なごし、年徳方へ打つたれば銭と金とを打ち出しましょう、もう一鍬打つたれば五穀の香がほうぼうへするぞや」 とあり、それを宮司が唱えると、田打ちが始まり、男性が鍬で田を起こす。次に「田打ち、田打ち馬を拵えて田をかいてもらいましょう」の呼び掛けに従い、馬が登場して代掻を行う。その馬には、大人二人入って、提灯を持った口取が誘導する。その時、集まっている大勢の子供たちが馬に向かって鋤を手に砂をかけるのである。これは、おそらく代掻をする時に泥が飛び散る様を表現しているのであろう。この様から祈年祭に行われる「御鍬」と言われているこの行事を「午の砂かけ祭」と呼ぶようになったと考えられる。その後、きれいに均された田に、早乙女姿の女性が横一列になって田植をするという進行になる。 最後にその年の五穀豊穣を祈りつつ「千歳楽や萬歳楽」と唱えてこの行事は終わるのである。
【※ 「年徳としとく方」は「歳徳神」の御座する方向、即ち吉方のこと】
 ところで、当神社には、それぞれの神事について解説されたものが残されていて、その中の「午の砂かけ祭」については、昔の人は、神様の前でしっかりと拝んでも、その願いが神様にはっきり通じないかもしれないし、ひょっとしたら意外な手落ちがあるかも知れないと考えた。 そこで祈願するものをこっちから形の上でやってみせれば、神様もお間違えにならないだろうし、またすこしそっぽを向いておられる神様でも目の前で見せられたものにかぶれられ、その気になってくださると考えた。 そこで田ならしや田植えなどをいろいろ実演して神様に見ていただき、田の行事がこのように順調にはかどって豊作になるようにと祈った。と述べられている。「午の砂かけ祭」には、この言葉からも、なんとも素朴で直向な思い、祈りを感じとることができる。
 当地は、『式内社の研究』(志賀剛著)によれば、鈴鹿川の洪水によりできた支流との間に位置し、しばしば洪水に見舞われた土地柄であったらしい。今は、頑強な堤防が築かれ、万全の治水対策が採られているが、新しい年を迎えて予祝行事である「午の砂かけ祭」が、伝統行事として確かな形で受け継がれているということは、甲斐の人たちの苦労を重ねてきた先祖への深い思いも籠められているのであろう。

三重県神社庁「みあかり」第13号