トトツリアイ(船越の火祭)


志摩郡大王町に鎮座する船越神社に古くから伝えられてきた、 元旦早暁の火祭である。 その神事の由来起源は不詳である。 古老の話では、 二百数十年前からと言われるが定かではない。 このトトツリないしトトツリアイとは、 「トト」 つまり 「魚」 を釣る、 または釣りあう (競い合う) と言う意味で、 言葉からして漁民達の祭であったことが分かる。 年の初め、 元旦に際して、 その年の漁を占い、 豊漁と海上安全を願う祭として営まれてきた。
断るまでもないが、 この 「トトツリアイ」 は、 大晦日から続く一連の越年神事の一環であり、 「トトツリアイ」 に至るまでには、 大晦日の午後から、 神社境内で行われる 「オニサイギ」 (鬼斎木) 集め、 前浜での 「芝木」 集め、 「ゾウエン」 (参篭殿での〆打ち)、 「チロリン詣り」 (千鳥詣り)、 さらに午前零時を期して拝殿前で行われる 「アタラシキ」 (各地で名乗りと称しているもの) と諸行事が続き、 その後、 前浜に繰り出していよいよ 「トトツリアイ」 となるのである。 いわば一連の行事の最後の締めくくりの神事である。
昭和十三年発行の 「三重県下の特殊神事」 (三重県神職会編) には、 この火祭行事について次のように書いている。
『火祭、 (俗にととつりと称す) …中略…青年輩予て各戸に就き芝木をもらひ集め前浜に積置き御山参篭の火を移して盛に焚き (南北二カ所) 機熟すれば一際に太き長き竿にて其の火を高く揚げ火焔沖天に揚がりて壮観云われ方なし其の高く揚がりし程度を以て其の年漁事をトふ、 此の火祭の模様を見んとて老若男女濱に充満す…後略…』。
ここにも書かれているように、 この行事の主役は青年層 (若い衆) で、 十代から三十代の漁民。 裏方役 (主に焚き手) を引き受けるのは、 中高年の船主・船頭達であった。 普段の仕事の上では絶対に逆らえない親方衆に、 年に一度、 この祭の間だけは 「無礼講」 と言うことで、 けがのない程度に芝木の束で、 無抵抗で逃げ回る親方衆を追いかけ、 打擲するシーンなども見られ、 観衆の喝采を浴びていたものである。 そうこうすること三時間あまり、 やがて東の空が白み始める頃、 大船頭の発声で伊勢音頭が始まり、 しばらく続いた後、 一斉にナル (網を干す棒) を持った若衆達が、 「ヨイ、 ヨイ、 ヨイ、 ………」 とかけ声勇ましく燃え芝めがけて突っ込み、 タイミングを見計らって跳ねあげる。 小休止を挟んでそれを何度か繰り返し、 やがて火勢が衰えるとともに終了となる。
過疎化、 少子化等々社会環境の変化によって、 日本の各地で伝統的な祭行事の維持が困難になっていると云う。 「トトツリアイ」 の場合も、 ご他聞にもれない。 参加する若者の 「花襦袢」 姿にかろうじて昔の名残を止めてはいるが、 はたして 「まつりの心」 はあるだろうかと思う昨今である。 (山際 記)
三重県神社庁「みあかり」第12号
2012年7月24日
