相賀神社 – あいがじんじゃ –


由 緒
当社の創始については不詳である。但し鎮座地は古来より変わらず現在に至っているものと見られる。社名の如く当社は、相賀の村に坐す神社であって、相賀村の人々の生活と共にある村の鎮守神的な社であったものと考えられる。それは現在でも脈々と伝わって来ている祷屋祭によって証明することができよう。当社には、明治時代に相賀地区の数多き神社を合祀している。特殊神事
祷屋(とうや)行事
旧正月十一日相賀・渡利 二地区で営まれてきた八幡祭で、東の村・西の村の二つに分けて、二地区が交代で上座・下座を勤める。現在の祭礼日は正月第2日曜日である。昔は豪華盛大に厳格に行われていたが、時代の変遷で行事の簡素化、経費の節減、労力の軽減が図られている。祷屋も個人宅であったが、今は両地区の集会所を祷屋としている。祷屋の準備は吉日を選び、祷屋受持ちの町内一同が会し、門飾り(椎の木を玄関両側に立て、注連縄を張り、掛魚を掛け、紅白幕を張る)神棚飾り(2間程の神棚の中央に御神体を納める処を作り、回りに椎の小枝を立て、その前に白布を垂らす。神棚に鏡餅12個を供へ、注連縄を張り掛魚を掛ける。)の準備をし、神職により祷屋内外、町民の御祓いがある。祭礼初日の土曜日、早朝新旧祷人は海や川で禊をし、白酒造りをする。この白酒は御供に又両村・関船船長等への贈物にも使われる。祭礼の諸準備が整うと、午後3時神社にて「神迎への式」が行われ、御神体は唐櫃に納められ、新旧祷人が担いで、塩水で清めながら、両村共約20名程が行列を組んで祷屋まで帰る。祷屋では上座は神職、下座は区長が神棚へ御神体を納める。その部屋には祷人以外入る事は出来ない。夜には「空船の儀式」がある。関船連中が上座、下座の順に関歌を歌いながら巡り、座敷で関歌「正月くずし」「松阪くずし」「道中うた」を奉納し、終わって直会の式がある。祭礼2日目、新旧祷人は禊をし日の出を拝んで帰宅する。10時から「弓立ての式」がある。式(直会)の途中両村から使者が出され、相手の祷屋で大声で口上を申す。間違えると最初からやり直しさせられる。口上は「支度が整ったなら神社までお祝いに行きましょう」という内容である。昼前「宮の儀式」へ出発、伊勢音頭を歌いながら神社まで行列を組む。神社では「御祓いの式」があり、終了後、拝殿横の直会場へ移動、小学低学年の子供が両村から2名ずつ出て給仕を勤め直会が進められる。途中上座はカツオ・下座はボラを真魚箸と包丁で捌く「板の上」行事、弓取り、関船衆の歌等があり、最後に上座の区長の「目出度~」と扇子を打振っての言葉でお開きとなる。その後本殿に戻り「神送りの式」を以て全ての式が終了となる。弓取りの的は魔除けになると言われ、終了後参拝者が取り合う。
祭典日 1月第2日曜日
| 神社 コード |
4212002 |
|---|---|
| 鎮座地 | 北牟婁郡紀北町相賀868 |
| 電話番号 | 0597-32-0778 |
| 御祭神 | 國常立尊、國狹槌尊、譽田別命、素盞男命、武甕槌命、大山祇命、倉稲魂命、罔象女命、市杵嶋姫命、迦遇突智命、表筒男命、中筒男命、底筒男命 |
| 祭祀 | 1月12日 祷屋祭 1月第2土曜(神幸祭・神賀祭〈祷主宅〉)・1月第2日曜(弓立祭・還幸祭)新嘗祭11月23日 |
| アクセス | JR紀勢線「相賀」駅下車徒歩7分、三重交通バス「新町」下車、徒歩2分 |
