穴師神社 – あなしじんじゃ –


神紋:左三巴
境内:207坪
社殿:本殿、拝殿、社務所、手水舎
氏子:51戸、立田町、崇敬者250名。
明治41年12月3日に、意非多神社(大字朝田)・畠田神社(大字和屋)・御薗神社(大字佐久米)・八雲神社(大字大宮田)を、明治43年8月24日に山神社を合祀したが、昭和22年2月11日に、上記神社をすべて元の地に分祀した。
由 緒
当社の創始については、『勢国見聞集』に「飯南郡穴師神社式内立田村に坐す。神名帳多気郡なり。祭神天多奈波大姫命。俗に杉社と称す。杉一株あり」とあって、『勢陽五鈴遺響』に「式内穴師神社、今俗同処ノ北田畔ノ間ニ杉社ト称スアリ。此ニ充ツ祭神穴織神。上七見ノ奈々美神社ヨリ十三丁」と記されている。また『朝見村沿革史』に「村社穴師神社ハ大字立田字里中ニ鎮座シ、素戔嗚尊ヲ祀ル。本社ハ延喜年間以前ノ創建ニシテ古来ノ鎮座地ハ三本杉トアリ、然ルニ何時カ之ヲ村内ニ遷社シ、里俗其処ヲ里中ト唱フルニ至レリ。大和国城上郡兵主神社及ビ同郡大兵主神社共ニ穴師村ニ鎮座、而シテ祭神ハ素戔嗚命ナリ。当社祭神モ固ヨリ素戔嗚命ナレバ其村名ヲ取リテ当社ノ社号トセシナルベシ。」とあり、福村正衡氏の『式内神社旧地発見上申書』には「穴師神社古址、多気郡佐奈村大字神坂字北山、金剛座寺所在地ニアリ(略)穴師神社トシテ今飯南郡朝見村大字立田里ニ配置セラレシハ中世所在ヲ失ヒシヨリ、学者達ノ考証ニ依テ祀祭スル所ナリ(略)佐奈村大字神坂字北山ノ山頂ニ天台宗魔尼山金剛座寺」ト号ス古刹アリ(略)該寺ハ此穴師神社ノ所在地二別当寺院ヲ建立シテ穴師寺又ハ穴師子寺トモ云ヒシナリ」と述べられている。特殊神事
よいよい神事
よいよい神事(四藺生神事)とは農事振興のための祭りである。市指定無形民俗文化財である。幣をつけた五メートル程の青竹(白幣)(オハゲ)を和屋町、立田町、朝田町の順に渡らせる。この三町は佐奈より移った同族(アシハナ神族)とされる。神事のいわれ(伝説)源義朝を暗殺した長田荘司忠致は佐奈に隠れていたが、源義経に追われ、和屋、立田、朝田と逃げ、立田の脇野九郎左衛門に首を刎ねられた。この忠致の通った穢れた道を清める行事とされる。
祭典日 2月11日
和屋町の祭り
かつては三町共通の故郷、佐奈の金剛山より白幣を受けるとされる。現在は和屋にて白幣を作り、畠田神社に奉納される。朝11時頃に25歳の厄男を始め着物に草鞋の男の村人が「山よかれ」の声で白幣を担ぎ、「よいよい」の掛け声で立田の堺、センダチ川まで走り、白幣を土中に突き刺し引き上げる。畠田神社にまで戻ると、42歳の年男が獅子頭をかぶる。その獅子頭の幕を町民が「よいよい」と叫びながら引っ張り合って破る。より破れたほうが豊作とされる。後に町内を巡った後に神社に獅子頭を奉納し、和屋の祭りは終わる。
立田町の祭り
かつてはセンダチ川にて白幣を和屋町民から奪っていたが、危険な為に、現在では和屋町民が引き揚げてから白幣を取りに行き、穴師神社前の土中に白幣を刺す。午後の神事の後、小使いが白幣を担いで「よいよい」の掛け声で朝田に向かう。通り道の家の門には柳に幣をつけたものを刺してあり、町民は白幣の後ろを、柳の幣を取りながらついていく。かつては、途中の空也上人の碑の前で柳の幣で殴り合っていたが、現在は行われない。また、白幣を持つ小使いは青年団が行い、「よいよい」の掛け声で練り歩く。
朝田町の祭り
獅子頭(和屋の獅子頭とは別物)が各家を訪れ、悪魔祓いの後、立田の境まで白幣を迎える。かつては獅子頭をかぶり、立田の町民が白幣で獅子頭を叩く事で不浄を清めるとされた。立田の町民は白幣を朝田町民に渡してから穴師神社に帰り、朝田の町民は白幣を担ぎ「よいよい」の掛け声で意非多神社の土宮に収めた。現在は危険なため、獅子頭をかぶらず、軽く叩くに止めており、朝田の役員が最小限に祭りに参加するのみである。なお土宮は前出忠致が首を刎ねられた際に土を噛んで死んだことにより、その地を土宮とされたものである。
| 神社 コード |
4217009 |
|---|---|
| 鎮座地 | 松阪市立田町 550 |
| 御祭神 | 建速須佐之男命、穴織(あなし)神、天忍穂耳命、大山祗命 |
| 祭祀 | 例祭 2月11日 秋祭 12月15日 四藺神事(よいよい神事):毎年2月11日に旧朝見地区の和屋・立田・朝田の氏子の若者達が、長さ7mの青竹の先に幣をつけたオハケを「よいよい」と威勢のよい掛け声でリレー式に送り、五穀豊穣と厄祓いを願う。その起源は、祖先神崇敬と同族の自覚団結を意図したものと考えられる。一方、長田荘司忠致の故事も伝承されている。 |
| アクセス | 県道37号(松阪ー伊勢線)「立田」交差点より車で3分 |
蘭宇氣白神社 »
