宇氣比神社(阿児町) – うけひじんじゃ –
由 緒
天和元年(1681)立神村指出張の神社の条に、三者氏神日天八皇子、三者氏神若宮、立石大明神、子安明神、一ヶ所弁財天、一社髭明神、一社重跡明神、権現稲荷明神などの名が見える。創立年月はいずれも不詳で、現神社は明治41年2月に小祠すべてを合祀したものである。当神社に古くから伝わり今も厳修している祷屋の制度を、大正3年の三重県神社誌から転記してみると次の通りである。
「本村ノ祭禮ニ於ケル最モ重キ神事トシテ延寶年間ヨリ盛ニ行ヒ來レル慣例アリ其ノ作法ハ毎年舊十一月十一日ヲ斯シ其ノ年ノ當番トシテ氏子全體ハ藤原(南座)渡會(南向座)金平古座)安部喜平座安部(片座)安部(山家)座安部(中座安部(禰宜座)藤原豆煎座)ノ九座ニ別レテ各座ニ於ケル老人一名ズツ、年番ノ宿元ヘ集合シ氏子ノ家々ヨリ持運ベル玄米壹升五合(以前ハ八番桝ニテ貳升ノ定ナリキ)宛ヲ受納メテ之ヲ御饌御酒(醒酒)ニ造リテ一般参詣者ノ直會ニ供シ殘餘ハ神事ノ餘興費ニ充ツル事ニナリ居レルナリ
舊十二月二日ニハ神事ニ關與スル者ハ都デ潔齋ノ上(此日ヨリ舊正月五日ノ夜マデ別火喰除キヲナス)翌三日神事始ノ儀式アリ此日ニハ當該神職氏子總代ノ内一人鳥ノ舞二人小踊二人都合六名ヲ當番側ヨリ招待シ(神職ハ祭服氏子總代鳥ノ舞ハ素袍烏帽子ヲ着ク)慣例ニヨル眞名箸ノ式及ビ立場ノ盃ノ式アリテ夕刻ヨリ當番ノ輩モ打揃ヒテ神社ニ参詣シ當番九名ニテ社頭ニ於テ丸注縄卷ノ式アリ翌日四日ヨリ鳥舞一人宛十五日間交代ニテ舊正月五日ノ朝マデ即チ三十日間毎朝鶏鳴前ニ起キ提灯ヲ燈シテ神社ニ参詣シ同時ニ丸注縄ニ向ツテ拝ス
舊正月朔日及ビ四日五日ノ三日間ニハ正午ヨリ係員社頭ニ参集シ参拝ヲ了ヘタル後獅子舞烏舞氏子總代當番ノ人々及ビ楽員人役等ハ都テ素袍烏帽子ヲ眞シ白足袋従跣ニテ出立チ村吏青年會員及ビ當番ノ人々等ハ裃ヲ着ク)此ノ三日間ニ渉リ直會ノ御酒肴ヲ以テ五献ノ盃ノ式アリ先一献ニハ汁椀ニテ酒ヲ盛リ肴ハ切菜ヲ用ウ二献ニハ同上肴ハ長菜ヲ用ウ三献ニハ親椀ニテ酒ヲ盛リ肴ハ俵物ヲ用ウ四献ニハ同上肴ハ削物ヲ用ウ五献ニハ同上肴ハ飛俵ヲ用ウ以上一献ズツ、改メテ受クル事トシ質素ノ中ニ厳粛ヲ守ル古風ヲ存セリ
尚四日ニハ百度詣午前二時頃ヨリ午後四時頃マデ神前ヨリ遥拝所即チ元秋葉社跡ニ至ル間ヲ往復スル事百回延長凡十五里餘人員約百名ヲ爲シ獅子舞ノ前ニ鳥ノ舞二人白紙ヲ含ミ弊ヲ持チテ神前間近ク出テ、修祓ヲ受ケ奏楽ニツレテ舞ヒ踊ル儀アリ次ニ前ニ記シ、九座ノ座調アリ後獅子舞ニ取掛リ最終ニ青年會員ノ豊年笹ノ祝式モアリテ近村ヨリノ参拝者亦極メテ多シ
翌五日ニハ最後ノ神事トシテ小屋破リト唱ヘ來レル式アリ獅子頭ノ押込ヲ爲シ係員ハ恭シク神前ニ参拝ヲ終ヘ一同社頭ヲ退下スル也」
特殊神事
獅子舞(ヒッポロ)神事
笛太鼓を習う歌譜が(ヒッポリ リョーリョ)等で口伝えで習うのと笛の音がそのように聞こえるのでその呼び名となった。1月2日午後1時より午後9時頃まで行われ、梼屋ほか家族子供若い衆など大勢の協力者によって成り立っている、獅子舞は1番から9番まで20分程舞っては休憩し約6時間程続く。五穀豊穣子孫繁栄邪気祓い等色々所作がある。日暮れには自治会役員僧侶消防団厄歳連中参席し、若い衆は酒宴の接待で大忙しとなる。終盤には獅子の豊年踊り、厄歳の大笹豊年踊りが始まると梼屋が作った調理用薦小屋が厄歳連中によって壊される。次に梼屋の若い衆が稲わらに火を付けて燃やす。厄歳連中は火の中に飛び込んで消そうとするが次々に火を付けて燃やす。それが30分程続く。この火祭りの灰を浴びると厄除けとなり、一年間無病とされる。いよいよ最後の獅子の打込みとなる、笛太鼓の音が徐々に早く強く大きく境内里中にまで響き渡る。獅子は楽に合わせて激しく頭を振り回し境内を駆け回り、宮中(獅子の寝床)に走り込んでヒッポロ神事は終わる。
| 神社 コード |
4211013 |
|---|---|
| 鎮座地 | 志摩市阿児町立神 2100-3 |
