宇治神社   – うじじんじゃ –

境内神社:蓬莱稲荷神社(稲荷大明神)
社  殿:本殿(神明造)拝殿 社務所
境  内:635坪 境外地 611.66坪
氏  子:900戸 今在家町 中之切町 館町 浦田町

由 緒

 当社の創祀については、古来二説ある。一つは皇大神宮末社那自賣神社の旧地であるという説(那自賣は納米の転訛という)で、今一つは、万治3年(1660)7月29日、宇治洪水の時に、神路山に合った小祠が此処に漂着したのを祭祀したものだという説である。いずれにしても、当社は以前は中之切町字森に鎮座した社で、社地は東西九間、南北七間、面積45坪2合5勺で、饗土ノ山神社とも称したと伝えられている。
 明治16年8月、元不動明王院の鎮守であった弓場天神を当社瑞垣内に、別に小祠を造立して奉祀した。
 明治41年3月、館町鎮座の求神社(御裳須曽姫神)、足神社(宇摩志阿斯訶備比古遅神)、水神社(速秋津日子神・速秋津比女神)、今在家町鎮座の鏡石神社(新川比賣神)、石津賀神社(神名不詳)、山神社(大山祗神)、稲荷社(宇迦之御魂神)、佐野姫神社(同)、水神社(水波賣神)、中之切町鎮座の蘭神社(素盞嗚尊)、浦田町鎮座の八幡社(應神天皇)、稲荷社(宇迦之御魂神)、秋葉社(火産靈神)、瀧倉神社(玉移良比賣神)、山神社(大山祗神)、崇忠神社(菅原道眞・和氣清麿・楠正成・天兒屋根命・大織冠鎌足)を、同年7月、館町鎮座の荒木田一門神社(天見通命・彌武彦神)を合祀し、明治45年5月、境内社弓場菅原社(菅原道眞)を合祀し、今日に至る。

特殊神事

弓の事始祭

 1月17日、宇治神社では「弓の事始祭」が執り行われます。境内に弓場を設け、「鬼」と書かれた的をねらい、二人の射手が二回ずつ弓を引く。この弓引き神事は、江戸時代初期の元和年間(一六一五~一六二四)から、おはらい町通りの真中に位置する宇治中之切町の不動堂明王院の弓場天神で行われていた。御祭神の菅原道真は文武両道で、漢詩・和歌・学問に秀で、弓の名手でもあったと伝えられている。若い頃、都良香亭で矢を百発百中射ったという伝承もあり、それ故、御祭神の御神徳に因んだ行事として「弓の事始祭」が行われてきた。当時は、新年、町内打ち揃って集まり、そこで家督譲り・養子のお披露目・名替わり等を町内に披露し、弓で占った。この弓引き神事は廃仏毀釈により明治初年に寺院廃退と共に中断していたが、明治十七年一月より宇治山神社(現宇治神社)で復興され現在も続けて行われている。以前は、射手が三人の時代もあった様である。神社の境内は弓を引くには飛距離が少し短く、また、冬季のこの場所は五十鈴川の水面を撫でて身も凍るような冷たい強風が階段下から吹き上がってくる位置となり、矢が風で流されてしまい雪の、ちらつく時もあり、射手泣かせの条件である。現在ご奉仕いただいている射手の方は三十年以上にもなり、こうして毎年の祭典日に、必ずご奉仕下さる氏子さんのおかげもあり、神事も続けることが出来るのである。弓が的に当たると皆がほっとして、寒さと緊張で静まりかえっていた境内に拍手がわきあがる。現在はこの結果より何かを占うということは行ってはいないが、見ている方々がそれぞれの思いで判断されているように見受けられる。


守武(もりたけ)祭

 元旦や神代のことも思はるる

 この句は、内宮禰宜を奉仕した荒木田守武氏が詠んだ句である。守武氏は芭蕉より150年前に、俳句の連歌から五・七・五の俳句を独立させた方であり、それ故に俳祖と呼ばれ「弥武彦神」という御神名で宇治神社にお祀りされています。生誕は応仁の乱の最中、戦国の世で文明5年(1473)であり、代々内宮の禰宜を務める家柄でしたので、守武氏も15歳で禰宜となられました。各地に反乱があいつぎ、宇治(内宮領)と山田(外宮領)でも合戦のある大変な時代でした。神宮も式年遷宮が出来ず、修理の仮遷宮でしのんでいたといわれます。そんな中で、神明奉仕に励みながら風流の道を極めていった。63年間も内宮に奉仕をされ、晩年の9年間は長官(一の禰宜)を務められました。早くから才能を発揮し、連歌集に選ばれ、「守武千句」「秋津洲千句」などたくさんの作品を発表され、山崎宗鑑とならぶ中世俳諧の第一人者となった。「元旦や…」の有名な句は、神宮会館のバラ園の中に碑が建てられている。また、大永5年(1525)秋には、「世の中百首」といわれる和歌を一晩で作ったと伝えられています。百首全てに「世中」という言葉を入れ、世の人々に人の道を教えたもので、江戸時代には「伊勢論語」と大切にされていた。家の印が桃であったので、「桃神主」とも呼ばれていた守武氏を讃え偲ぶお祭りは、町の俳人たちが中心となって江戸時代から行われていたようで、現在は戦後間もなく藤岡紫風氏(元神宮禰宜)を中心に設立された「神宮鉾杉会」を元とする「俳祖守武翁顕彰会」の主催により、毎年9月15日に行われている。昭和23年に没後400年を記念して宇治山田高校講堂(現皇学館大学)で、「全国俳句大会」が盛大になされ、その時に迎えた高浜虚子氏が、「祖を守り 俳諧を守り 守武忌」と詠まれ、「守武忌」という言葉が歳時記に季語として採用されたそうで、これを契機に顕彰会が発足した。祭典の折は、祝詞奏上の次に顕彰会代表 (元神宮禰宜。初代代表は藤岡紫風氏。二代目は藤波孝堂(孝生)氏。現代表 矢野憲一氏は三代目)より全国から献句された俳句の披講なされる。また祭典終了後、内宮参集殿二階で俳句大会が催される。そして、それらの中から優秀作品が選ばれ、表彰式が執り行われ、これら全てが終わると桃の実を持って守武さんの御墓へお参りし、その年の祭典と句会が無事終わったことを報告し締めくくりをするのである。戦乱厳しく、筆記する用紙さえ困った時代に連歌から十七文字を独立させ、世界一短い詩を文学と発展させたこの俳祖を偲ぶお祭りは、この先も大切に続けられてゆくこと願う。
※参考文献 「荒木田守武」俳祖守武翁顕彰会編集

 祭典日  9月15日

神社
コード
4216010
鎮座地 伊勢市宇治今在家町172
御祭神 大山祗神、天見通命、彌武彦神、御裳須曽姫神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、速秋津日子神、速秋津比女神、新川比賣神、宇迦之御魂神、水波賣神、素盞嗚尊、應神天皇、火産靈神、玉移良比賣神、菅原道眞、和気清麿、楠正成、天兒屋根命、大織冠鎌足、羽倉東麿、岡部深淵、本居宣長、平田篤胤、神名不詳一座
祭祀 例祭    8月21日
弓の事始式 1月17日
茅輪神事  6月30日
弓の事始式は元和年間(1615~1624)より中之切町の不動明王院の鎮守であった弓場菅原社において行なわれていた。明治初年の廃仏毀釈によって寺院衰退し、式も中断していたが、明治16年8月に至って宇治山神社の境内に社殿を建てて、式を復興させた。中之切町ではこの式の時、一町内打寄り家督、養子広め、その他、名替りなどを町内に披露したという。
アクセス 三交「外宮・内宮」循環バス「内宮前」下車、3分