地域が支える特殊神事 伊賀留我(いかるが)神社『日待祭(ひまちさい)』

P6-3段目

 三重県北部、 四日市市羽津に鎮座する伊賀留我神社 (宮司 岩田健司) では、 例年、 祈年祭の前夜、 二月十五日の夕刻より、 十六日の早朝に亘って日待祭が執り行われている。
  『神道名目類聚抄』 に “日待は前夜より潔斎し、 明旦の日の出を待って拝す。 (中略) 故にこの名あり” とみられる。 天照大神は、 我が国至尊の大神であり、 その広大無辺なる御神威は、 太陽の御光として仰がれているが、 日待はあくまでも、 祈年祭などの重儀なるお祭りを控えた前夜の厳重な精進潔斎にもとづく忌籠りに、 本来的な意味があったと考えられている。
 かつては、 羽津地区でも、 祈年祭をはじめ大祭の前夜に、 その都度行われていたようである。
 伊賀留我神社の日待祭の歴史は古く、 地元の古老の言い伝えではあるが、 今から二百余年前、 江戸後期の天明四年頃に遡るといわれている。
 古くは女人禁制で、 直会の準備からすべてを宮守青年団によって行い、 まず日待の宿を二月十日の夜に決める。 それは、 団長宅にて、 三方にのった氏子各戸の名前が書かれた名札を、 御神酒を浸したお札で撫で、 お札に張り付いた家を日待の宿とする神占神事である。
 昔は、 神様から選ばれたと、 誉れなことであった。
 日待祭当日の夕方になると、 宿をつとめる家の床の間に、 古くより伝わる神殿が飾られ、 天照大神のお札をお祀りして、 紋付・袴に正装した区長、 氏子総代、 組長らが参列して、 日待祭が斎行される。
 直会ののちは、 眠ることなく神殿をお守りし、 親睦を深め、 同じ地域に住む仲間意識を確かめ合い
ながら忌籠ったそうである。
 午前三時頃になると、 全員が宿の風呂に入って身を清め、 午前五時、 神殿を庭先に移し、 日の出を待って順次拝礼。 その後、 神殿を交代で担ぎ、 伊勢音頭を唄いながら神社へと向かい、 無事御奉仕申しあげた旨の奉告祭を行い、 続いて午前十時からの祈年祭に臨む。
 この歴史ある日待祭も、 時代の流れと共に、 生活様式も異なり、 地区地域の人口の増加により、 昭和五十三年からは、 自治会役員、 氏子総代、 組長等によって行われるようになり、 宿も町の公民館に固定されて現在に至っている。
 伝統ある神事や儀礼というものは、 私たちの祖先が長い歴史の中で、 深く生活に根ざした一つの必然によって成り立つものである。
 氏神、 氏子意識が薄れつつあるなか素朴な信仰を伝え、 祖先を尊ぶ氏子の方々の強い心によって、 今日までこの日待祭が継承されていることは、 誠に注目に値するものと言えよう。

三重県神社庁「みあかり」第18号