木本神社 – きのもとじんじゃ –

木本町は、江戸時代に紀州徳川家の本藩公領地として『奥熊野代官所』が置かれ、熊野地方(熊野川以東から三重県北牟婁郡紀北町)の中心地として栄えた町です。木本神社は、もともと「若一王子権現」(“若一王子”は天照大神を意味します)といい、新田地区にあったものを現在地に遷座したと言われています。慶長13年(1608年)の遷宮棟札が現存しており、その頃から祭礼が行われています。例大祭では、木本町の各地区から様々な山車が出されて“暴れ神輿”の異名をもつ御神体が鎮座する神輿のお供をしながら町内を練り歩きます。
由 緒
当社の創始については詳かでないが、現存する棟札によると慶長13年(1608)12月に木本町字新田から当地に遷座、天照皇大神を祀ったことが記させれている。明治41年1月9日に境内社の若宮神社二座、大国神社、恵比須神社、及び字新田町鎮座の稲荷神社、字切立鎮座の新田神社を合祀する許可を得て、同年4月20日にそれを執行。昭和26年9月27日に木本御靈神社を創設、また稲荷神社、菅原神社(元、新田神社)を飛地境内社として旧鎮座地に分祀した。 木本町は、江戸時代に紀州徳川家の本藩公領地として『奥熊野代官所』が置かれ、熊野地方(熊野川以東から三重県北牟婁郡紀北町)の中心地として栄えた町です。木本神社は、もともと「若一王子権現」(“若一王子”は天照大神を意味します)といい、新田地区にあったものを現在地に遷座したと言われています。慶長13年(1608年)の遷宮棟札が現存しており、その頃から祭礼が行われています。例大祭では、木本町の各地区から様々な山車が出されて“暴れ神輿”の異名をもつ御神体が鎮座する神輿のお供をしながら町内を練り歩きます。特殊神事
神輿渡御
古代、神倉(蔵)山に降臨された熊野神は、石渕(貴祢谷)昔祭礼日は、9月9日で節句の祭ともいわれ神輿渡御を行う祭礼である。当日、祭典の後、御輿への神移しを行う。神輿は本殿の白州へ安置されそこで移される。神輿が当社を出ると出立ちの御神酒として皆に振る舞われる。渡御はお昼頃に、「稲荷山車」がはじめに出発、続いて「御神輿」、「六法」、「よいや」、「子供みこし」「元宮太鼓」の順で、お旅所(稲荷神社)へむかう。六法行列は紀州藩の本藩直轄地となった木本の住民がその喜びの心を表したもので、参勤交代・大名行列を模倣したものと言われ、六法(方)の名前は天地東西南北の六方向に大きく手を振って足を力強く踏みしめるような所作から、歌舞伎の六法(方)に由来していると言われている。笛吹き・歌い手に次いで、挟み箱・熊毛・鳥毛・手槍・立ち台・弓・鉄砲など、総勢30名ほどの若い衆が顔に白・赤・青の化粧をし、フリコーメソー、ヨーイヨイ、ソーレ、ソーレ、ヨイヨイ、セッ、ヨイヤハッ、ヨイヤハッ、ヨイヤハッの掛け声を入れ、“六法を振りながら、行列で進む。御神体を移した神輿は約一トンもの総重量はあり、基本的には台車に載せられて町内を練り歩きますが、「浜担ぎ」や町内に設けられた各“宿所”では百数十人もの奉仕員によって直接担がれる。御輿渡御の道中、町内に設けられた各「宿所」で供え物として住民から振る舞われる酒が、次々と神輿に振りかけられ、伊勢音頭が高らかに歌われる中で掛け声をかけ、勇壮に担がれる様子から「暴れ神輿」といわれ、「チョーサヤ、チョーサヤ」という掛け声は中国語の“招財”を起源とする“ワッショイ”の古い形の言葉と言われている。また、神輿がお旅所から出発する時台車から外され奉仕員に担がれ「浜担ぎ」(七里御浜で熊野灘の荒波に神輿を浸け、浜に落として清めを行う。)が行われ、日付が変わる深夜に、木本神社に帰り、渡御行事が終了する。
祭典日 体育の日の前日 木本神社「神輿渡御」
| 神社 コード |
4213008 |
|---|---|
| 鎮座地 | 熊野市木本町 95 |
| 電話番号 | 0597-85-3586 |
| 御祭神 | 天照皇大神、天兒屋根命、天布刀玉命、大己貴命、事代主命、大山祗命、埴山姫命 |
| 祭祀 | 体育の日の前日 春祭 2月17日 秋祭 11月23日 |
| アクセス | JR紀勢本線「熊野市」駅下車、徒歩10分 |
