大馬神社 – おおまじんじゃ –

諸説には、その賊の頭の首を地中に埋め その上に社殿を造ったのが始まりともいわれてます。田村麻呂が大きな馬に乗っていたことから、また田村麻呂の愛馬が一緒に埋められたことから”大馬”とも、”大魔を封じた社”が転じて”大馬”となったともいわれています。七里御浜にある獅子岩は、本来、この大馬神社の「阿のコマイヌ」であったという。
境内には大馬清滝という滝あり。大杉など森列し壮観である。信仰の中心修行道場として御神意あらたかなお宮であり 千百有余年の時代の変遷にたえた境内の老杉の姿にも その当時がしのばれます。元は大馬地区の産土神でありましたが、現在はふもとの八幡神社が遙拝所になっており、井戸町全体の氏子組織によって祀られています。
由 緒
当大馬神社の御創建は皇紀1469年第51代平城天皇の大同5年と伝えられており、その起因は木本鬼ヶ城に於ける夷賊討伐に原因したるものにして 紀伊風土記には『村老伝え云ふ 昔南蛮の夷賊 熊野に来たり 近境をを侵し掠めし 故 田村麿将軍 都より来たりて是を討ち滅し給う。』とあり 坂上田村麿将軍の賊を退治して 都に還り勅許を得て 当 熊野地方の総鎮守として天照大神を主神として奉斎された由緒高き神社でありまして歴代の藩主も年高五石の祭祀料を寄進又維持料として周囲の山林を社有林として寄進年々の御造営には熊野地方一円から浄財が寄せられ奉仕するという名社である特殊神事
御弓神事
当神社は、花の窟、産田神社に次ぐ古社であり、元は大馬地区の氏神であったが、のち、(井戸~仲井田)八幡神社が大馬神社の遙拝社となり、大馬組を含め14組(地区)の氏神となっている。そして、それぞれの地区に氏子総代をおいている。現在、13組の地区(大馬組は毎年奉仕である)が輪番制で祷屋を受け持ち、祷屋地区は大馬神社里宮八幡様(11月23日)の行われる祭礼の注連縄に使用する稲刈りからの行事のいっさいを総代会と交わり、指揮をとる。そして、県下一番に行われる祭礼(正月六日)の御弓神事には、祷屋地区より、弓引き2名(高校生以上)、矢取り2名(小学生)が選ばれる。弓引きと矢取りは、当日までは精進潔斎をしながら、更に祭礼直前に境内の禊ぎ場にて、身を清める。その後、弓引き役は鳥帽子、直垂姿に刀をつけ、御弓、矢2本(白羽矢2本、黒羽矢2本)ずつ合持つ、又、矢取り役は白装束に着替え、祭典に参列する。祭典後、境内内弓引き場(的までの距離約十二m)にて、弓引きが行われる。まず、一人につき2回矢を放ち、その後、神職より一人一人に御神酒をいただき、再び矢を放つを繰り返しながら、6回ずつ合計12本の矢を放ち、一年の平安を祈願する。そして、最後に天高く、流し矢(遠矢)を放ち、神事は終了する。終了後、使われた的は参集していた皆が一年の平安を祈り、分け合い持ち帰る。
祭典日 1月6日
| 神社 コード |
4213009 |
|---|---|
| 鎮座地 | 熊野市井戸町 4333 |
| 電話番号 | 0597-89-3247 |
| 御祭神 | 天照大御神・天児屋根命・誉田別命・大山祇命・神武天皇・坂上田村麿将軍・他1柱 |
| 祭祀 | 1月6日 |
| アクセス | 熊野市駅より北西5㎞。車では熊野市内を走る国道42号線を南下し、獅子岩前の交差点を右折、井戸川に沿った県道七色線をを北上すると、十分ほどで大馬集落へ向かう道路と分岐している三叉路に出る。右折し、道なりに途中左に向かう車一台が通れる山道を登り詰めたところ。 |
