大森神社   – おおもりじんじゃ –

 800年以上続く伝統の祭り。神事の後、豊作に感謝しどぶろくが振る舞われ、当地方ではこの祭典を「どぶろく祭」とも称している。神社には神明造りをはじめ、15種類の建築様式があるが、大森神社の本殿は春日造り。

由 緒

 当社の創始については、口承によると、健保年中(1213~9)に尾川に住した太夫という者が奈良の春日大社に参詣した際、小さな神鏡を請けて帰郷し、これを天兒屋根命の御神体として尾川字高瀬森山という川辺の森に尾川・長井・粉所三村の氏神として奉祭したのが始まりという。しかるに、承応元年(1653)7月洪水によって社殿が流失したため、明暦3年(1657)9月に旧社地より尾川川下流沿岸の地、現在地に新たに社殿を造営したと伝える。また、当社には延宝5年(1677)9月29日の棟札をはじめ、安政4年(1857)までの棟札が蔵されており、当社はほぼ江戸期を通じて20年乃至40年に1回の造営遷宮を行っていたと解される。また、それらの棟札全てに「春日大明神」という表記が使われていたことよりすれば、当社が江戸期にはその様に呼称されていたことも分かる。明治40年11月15日に官許を得て、11月26日に大字大井村鎮座の高瀬神社(祭神、應神天皇)、並びに大字赤倉村鎮座の丹倉神社(祭神 不詳)二社を合祀、次いで12月12日に当社境内社の稲荷神社二社を合祀した。尚、高瀬神社は、かつて紀伊國牟呂郡大沼村に住む澤井甚兵衛という者の鎮守であったが、信仰する者が多く、明治12年9月に村社として奉斎されることになったとの伝えを有する。

特殊神事

どぶろく祭り

 どぶろく祭りは起源が建保元年(1213)と伝承されている。どぶろく祭(例祭)の中心となる当屋には氏子なら誰でもなれるわけでなく、当連中と呼ばれる者立ちの中から選出される。祭の中心は祷屋ではなく祷屋を選出する当連中であり、「例祭の運営も実質的には当連中が行うと云っても良い。当屋とは「当を盛る」家全体を指す。特に当屋の主人を指す場合は当主と呼ばれる。当屋の他に重要な役割をはたすものに、当人、「カゾ」、後見人がある。当人は当屋の跡継ぎの幼い男子で、もし当屋に適当な子がいない場合は親戚から来てもらう。「カゾ」は幼い女子で、適当な者を当屋が依頼して決める。後見人は当屋を補助する役目を持っており、当屋の親戚、祭に詳しい者になってもらう。当人と「カゾ」は夫婦の役目をするといわれる。(当人は「カゾ」より年上で、兄弟ではなれなかった。) 当屋は当連中の中で親族などの「ブク」(不幸)がかかっていない者の中から、9月9日に籤にて決定する。この作業を「クニチドウ」と呼ぶ。どぶろくは、当屋が管理する当田にて、米を収穫、大水溝へ水を汲み行く。10月15日に黒早稲より造った麯を当連中8人程で4つの摺鉢で摺る「モトスリ」から始まり、一週間してから「ハツゾエ」をし、翌日に「ナカゾエ」をし、最後に「トドメ」をして、どぶろくが完成する。11月22日には「当屋」の清めの水浴びが厳かに行われ、当日の大森神社の例祭(別名どぶろく祭り)を迎えます。祭り当日、朝9時半に「当屋」の出立ち、十時から神事が始まり、この後、どぶろくが参詣者に振舞われる。東海地方では「どぶろく」の醸造認められているのは伊勢神宮、白川郷、そして当神社の三カ所である。

 祭典日 11月23日

神社
コード
4213018
鎮座地 熊野市育生町尾川 644
御祭神 天兒屋根命、倉稲魂命、八幡大神、不詳一座
祭祀 11月23日
春祭 4月3日
夏祭 8月15日
アクセス JR熊野市駅からバス50分、バス停:尾川→徒歩15分