物部神社   – もののべじんじゃ –

由 緒

創立は不詳 山辺の行宮式内物部神社と往昔より言い伝え上世の記録などもあったが寛保元年(1741)七月二二日洪水により村落の西にある雲出川の堤が切れ、家屋浸水 巻物など書籍類も残らず流失した。以後居住できなくなったため村人は現在の地に移住したので創立当時の確かな記録はない。しかし、当社は所替せず古来の地にある。また、明治四年室月の神社御改のため考証の類を探索したが見出すことはできなかった。その後縁起を記した巻物が出現したが、その文には「伊勢國一志郡新家村山辺行宮、祭神牛頭天王一座素戔嗚尊荒魂也、又餘地有、八王子宮即ち是れ天王之末社也。山辺の行宮は止由気大神遷幸、山田原へ渡過の時、一宿の旅館、是れその地也。又今崇察する伊勢國一志郡新家村山辺の行宮は旧記に云う大泊瀬幼武天皇(雄略天皇)朝倉の宮に天下を治めす二三年巳未年(485)七月七日行の宮に奇妙なる光有り。村の長、行手見ければ光の中に暴形現れ、村長等に告て曰く、吾は是、素戔嗚の荒魂なり。皇太神の旅道守護のために出でて副い来りぬ。自ら今以て後此地に留止りて慈恵を分け布かん。もと此処は吾、昔、根の国より帰らんと欲する日、少しの間在地也と。故に村俗等集まりて新たに其宝殿を経営す云々。又行宮の名義久しきに至り、遠くに至り、納むる所の什宝霊物、世の乱に逢い詣方遠ち近ちに散在、其後を失し終わりぬ。惜しき哉。上古の記録星霜古きを数え、或は筐裡に朽ち、或は紙魚となり神家の如く古老伝来また代々遺漏、詳かならず。今僅に伝来旧記の片篇一〇之一存するを拾えば今日は所録左の如し云々。」とある。現在宮域内の南中央に長さ一メートル余り、幅二二.五センチメートルの南面に「行宮」来た麺に「やまべかりの宮」と刻された標石が建つ。これが「豊受大神宮御鎮座本記」に「山辺行宮に御一宿。今一志郡新家村と号す。」とあるのに当り、また、「元元集」にも同文がみえる。ただし山辺行宮の称号は、当地が山林であって清浄な土地であるために御一宿座まして山辺の行宮と称したことによる。この社地の西、畑の字を西林と称していることからもわかるようにこの辺は山林であったので山辺、或いは石林と称したものであろう。また、宮域の東北に「山辺の御井の旧跡」という小塚がある。毎年一月一日にしめ縄を張り不浄を禁じる。また、式内物部神社と称するのは村民が往昔より言い伝えるところによると祭神は建速須佐之男命と中興以来御改帳へ書き載せていたが、神殿内には二座祀られてあった。これは、物部連公、新家連公がかつて在邑してその祖先の宇麻志摩遅命を相殿に祭祀したのである。また村名も同様に起因するということである。
神社
コード
4224008
鎮座地 津市新家町 563
御祭神 《主》宇麻志摩遅命、《配》建速須佐之男命、弥都波能売命、大己貴命、応神天皇、仁徳天皇《合》五男三女神、天忍穂耳命、天菩卑能命、天津彦根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、市杵島比売命、多岐都比売命、菅原神、火之加具土神
祭祀 歳旦祭 1月1日
例祭  4月10日
アクセス 近鉄名古屋線桃園駅から徒歩15分(1.2㎞)