稲葉神社 – いなばじんじゃ –



由 緒
延暦二十年(801)頃創立。延喜式神名帳「稲葉町神社貳座」社殿明細帳「式内稲葉神社 祭神 大年命,玉桂屋姫命 社殿 本殿 拝殿 参籠所 境内坪数五八二坪」氏子地域の稲葉は元多野田村蝿田村を合わせたものでこれらの村の産土神として鎮座の二座並座の神社である。左殿を伊佐波富美大明神 右殿を穂落大明神と称する。土地のものは志州伊雑宮及び穂落大明神の二所を祀ると言い伝える。この二所を書いた古い額がありまた「延喜式神名帳」に「稲葉神社貳座」と記載するのがこれに当たる。尤も古くから社前に「稲葉神社」と彫刻した標石がある。この号は伝えによるともとは地名よら生じたという。というのは旧多野蝿田の両村を広く古くから稲葉郷と称した。一方鎮座の山を稲葉山と称したので昔時、社の後傍にあった西光寺という寺の山号を稲葉山と呼んだのである。ところでまた旧蝿田村というのはもと懇田(はりた)村であったのが音便によってハイダとなり転じて蝿田となったものである。旧多野田村というのも大野田の意味であると伝えられている。さらに左殿を伊佐波富美大明神というのは稲葉富みの意であるという。 右殿を穂落大明神と称するが稲葉神社と称することもある。神名帳に貳座と載せられているのは必ず社殿二宇左右に並び座すからであろう。さだ、前述の西光寺縁起と題し当寺が社の後傍にあったのが事故によって旧蝿田へ移る趣旨を記し(この記事に社の後に二つの井戸があるというが今も樹叢に二つの井戸状の地が認められている。)終わりに稲葉神社縁起と題して志州より移したことを記している。しかしながらその文は殆どが倭姫命世記からの抜抄でありわずかに延喜式神名帳の記事がみられるだけである。また志州より勧請した夜、社の後に大石が出現したと記している。この大石というのは今、土地では「懸税の御霊石」と称して瑞垣の内、社殿後方にあり地上に出ている部分は長い処で五.四メートル余り短い処では一.八メートルほどで高さはおよそ一.八メートルである。地中の深さは不明である。この傍らには種属の不明な石類が突起している特殊神事
湯立神事
毎年4月10日は村の鎮守の神様のお祭りで湯立て(みゆ)神事が行われている。江戸初期から伝へられており、其の当時村々に大飢饉や疫病が流行し村人達は苦しんでいた処、神様のおつげ(神様の夢言葉)があった。それは大釜で沸騰した湯を熊笹で湯のしぶきを氏子に浴びせると病が直るとされ、村人達は正直に衣類食器食物等お湯を浴びる事により病が直り神様に御礼したと言伝えられている。
毎年、無病息災家内安全祈願を今なお行われている。
神社にまつわる言い伝え等について
大石
稲葉神社縁起と題して志州より移したことを記している。しかしながら、その文は、殆ど倭姫命世紀からの抜妙であり、わずかに延喜式神名帳の記事がみられるだけである。また、志州より勧請した夜、社の後に大石が出現したと記している。この大石というのは、今、土地では「懸税の御霊石」と称して瑞垣の内、社殿後方にあり、地上に出ている部分は長い処で5.4メートル余り、短い処で1.8メートルほどで、高さはおよそ1.8メートルである。地中の深さは不明である。この傍らには種属の不明な石類が突起している。
| 神社 コード |
4224005 |
|---|---|
| 鎮座地 | 津市稲葉町 462 |
| 御祭神 | 《主》伊佐波登大明神、大年命、玉桂屋姫命《合》大鷦鷯命、大物主命、須佐之男命 |
| 祭祀 | 例祭 10月10日 春祭 4月10日 御湯祭の行事がある 祇園祭 8月15日 |
| アクセス | 近鉄大阪線伊勢石橋駅から徒歩51分(4.1㎞) |
