引本神社   – ひきもとじんじゃ –

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 例祭 別名「お関船祭」とも言い、船型神輿が町内を練りながら巡幸する祭りである。道中、宿という「八幡大神」「武速須佐之男神」の掛軸を床間に架けた休憩所でお供えをし八幡船唄を奉納する行事がある。みおや祭『引本宮座文書』に記するところに基き、引本開村以来、奥村、濱田両家より一人ずつ祷人を出し(現在は町七ヶ所の輪番制でその町で一人祷人を出し、それに自治会役員二名、座見二名、弓取り(中学生男子)二名が祷屋となり宵・本祭と祷屋宅で行い神社まで行列を組んで行く)、氏神を拝し(神前祭斎行)、弓を奉納(弓引き神事)する祭りである。祭礼終了後、みおやである奥村式部、濱田隼人の両氏の墓前にお参りするのが慣例となっている。
 初天神 小学生以下の子供たちが菅公を偲んで絵行灯を奉納する祭りである。

由 緒

 当社の創始について、『引本神社宮座文書』には「我等奥村式部此海辺をぼくぜひして移居せり、因恭八幡宮を勧請して、我等氏神と拝し奉る。然る上は永く幾万世おゐても氏子は系統の基二組也。両村之内各々頭番して両村壱人宛ハ神事祭礼正月一一日ヲ以て行ふ処の図を堅く相守り、神前の御酒供物等品々、尚弓箭等の儀式慥ニ相勤、祭礼し奉るべし(略)右記し置シ氏神の事、奥村・濱田両系図の子孫たるもの、兼てハ相心得系図を受領するの一大事重キ一件也。海ニ付山ニつき土地開闢の基たる固縁至をもって能く受領の一事を守りて軽んずべからず。(略)元和三丁巳年正月 奥村式部在判」とあり、『八幡大神御祷録事』に「抑モ我ガ引本浦ノ高祖タル濱田隼人奥村式部ノ来歴ヲ傳聞ノ儘之レヲ記サンニ濱田氏ハ原ト石見國濱田ノ城主ナリシニ今(明治44年)ヨリ三百有餘年前大阪落城ノ際落チ延ビテ當地ニ移住シ其ノ後間モナク其ノ親友タル奥村氏ハ新宮古ノ本(今ノ相賀)ヲ経テ濱田氏ヲ尋ネ来リテ共ニ此ノ地ニ居住ヲ定メ八幡神ヲ奉祀シテ氏神トナシ(略)倶ニ力ヲ合セテ此ノ地ノ繁栄ヲ謀ラレシト云フ」とあって、『紀伊続風土記』には「八幡宮社 境内周四八間 本社 奉行四尺四寸 拝殿 五間 二間 末社 二社 牛頭天王社 表行三尺一寸 稲荷社 岩屋にあり 村中にあり、一村の産土神とす」とある。以上のことより察するに引本神社は古くは八幡神社と称されており、当社の創建には濱田・奥村の両氏が深くかかわっており、両氏の子孫(氏子)によってその祭祀が執行されて来たことがわかる。当社は引本の村における氏神でありまた産土神であると言えよう。そしてその創建年代は、凡そ江戸初期に求められるものと考えられる。引本神社の鎮座地及び祭神は当初より現在に至るまで変更されず継承されたが、明治40年代に入り地区内の神社の多くが当社に合祀された。
鎮座地 三重県北牟婁郡紀北町引本浦428番地
電話番号 0597-32-0182
御祭神 譽田別命、建速須佐之男命、大山祇命、宇迦之御霊神、倉稲魂命、蛭子命、大物主命、金山毘古神、菅原道眞、伊邪那岐命、伊邪那美神、早玉神、猿田毘古神、二天八王子、国狭槌命、天照大御神、月讀命、市杵島姫命、少名毘古那命、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命、靖國之神、祖霊
祭祀 関船祭 10月第3日曜
みおや祭 1月第2日曜
初天神 1月24・25日夜
アクセス JR紀勢線「相賀」駅下車し、三重交通バス島勝行乗車「引本」下車、徒歩1分