高宮神社(須賀利町) – たかみやじんじゃ –


由緒に記したように創祀も古く、合祀した社叢神社(元須賀利)の境内地からは大量の須恵器が出土しており、歴史学上でも非常に興味深い神社である。
由 緒
当社の創祀については詳にし難い。社伝によればこの地が神宮領であった(「神鳳抄」に記述あり)関係上、室町時代以前に外宮別宮の高宮(多賀宮)を勧請したと伝えられている。「紀伊続風土記」にも「産土神社境内周百十間高ノ宮(一ノ宮)…」と記されており、近郷の産土神としての崇敬の篤い社で明治4年(1871)村社に列せられ、同39年(1906)には神饌幣帛料供進社の指定をうけた。明治44年(1906)に付近の社叢神社以下8社を合祀し現在に至る。境内社として金刀比羅神社(大物主命)、蛭子神社(事代主命)が祀られている。
特殊神事
当屋の神籤
この地は「神鳳抄」並びに「神領給人引付神領目録」に須賀利御厨と称され、古くから神宮領のひとつとして塩を製して奉納していた。創祀は定かではないが、社伝には記述が残っていることから考えても、室町時代以前に外宮別宮の高宮(多賀宮)を勧請したと伝えられている。尾鷲市の神社には宮座(当屋)制度で神社の護持しているところが多く見られ、この高宮神社もそのひとつであり、毎年正月元旦の午前1時に一番から三番までの当屋を決めて、主として一番当は鍵の管理、二番当は諸道具の管理、三番当は太鼓などの管理と料理にあわせ、期間中は祭典の奉仕、朝夕の点灯、境内清掃、神饌の調達なども担当する。この毎年の当屋決めを当屋の神籤(しんせん、又は、かみえらびと呼ぶこともある)神事という。
元旦の午前1時に神職、当屋、総代が参籠殿に集まり、まず神職より今年の神籍者(25才~40才)を報告、ついで一番当と総代が紙片に書かれた名前を確認し、参籠殿の神前に供える。神職がお祓いをし、当屋選定の奉告祈願の祝詞を奏上した後、長机を二つ向かい合わせに並べ、その間に三方のかわらけ(土器)に饌米約五合を盛り、名前の書いてある紙片を手分けして小さく丸め籤を造り饌米の上にのせる。神職が選定用の小さな御幣で饌米の上を動かすと、御幣の先に籤が吸い付いて釣れ、最初に釣れたのから順に一番、二番、三番と新当屋が選ばれる。
旧当屋は新当屋に当籤(とうせん)を知らせ、新当屋は浜で垢離(こり)をとり身を清めて装束に着替え、神職と共に拝殿で新当屋三人の就任奉告祭を執り行う。続いて参籠殿で新旧の当屋の当渡しが行わる。上座に旧当屋、下座に新当屋が座り、神職の仲立ちで御神酒の酌み交わしがあり、まず旧当屋三人が受けたのち、新当屋三人が受ける作法で、一回ごとに新旧当屋が席を入れ替えながら三回酌み交わす。(三献の儀) 尚、新当屋は杯の上に赤の紙ごよりを二本載せて御神酒を受けるのが決まりである。最後に各当屋で各々引継ぎを行い、新当屋は赤い紙ごよりを自分の持ち物(以前は羽織と下駄、現在は雪駄)に結びつけて帰路に着く。この赤い紙ごよりは名誉ある当屋の標識で他の氏子の崇敬の的で、これを銭湯で見かけたら、諸人は遠慮して入らなかったし、女子は道で会っても言葉をかけられなかったという。
ある時期、人工の増加と名誉なる当屋になれない氏子が多くなり、それを嫌がって当屋の任期を半年に縮減し、正月と6月11日の例祭日を境として改選することとし、現在(7月10日夜8時と12月31日夜8時)に至っている。 昨今、町の過疎化が進み氏子も減少したため、一番、二番、三番の当屋は順番に努めているが、この当屋の神籤神事は形を変えずに護り次世代に伝承していくように取り組まれている。
祭典日 7月10日 12月31日
| 神社 コード |
4223004 |
|---|---|
| 鎮座地 | 尾鷲市須賀利町 286 |
| 御祭神 | 伊吹戸主命、天照大御神、天児屋根命、熊野布須毘命、譽田別命、市岐島姫命、大山祗神、宇迦之御魂神 |
| 祭祀 | 例祭 7月11日 蛭子神社祭 2月11日 |
| アクセス | 自動車:伊勢自動車道 紀勢大内山インターで降り、国道42号線を尾鷲方面に約40分進み、紀北町海山から須賀利へ約20分 または、尾鷲港から巡航船「須賀利港」下車 徒歩2分 |
