早田神社   – はいだじんじゃ –

 海の御守護神と八幡様を祀っている早田神社は、現在でも漁場方が中心となり神事を執り行っている。特に例祭(2月11日)で神社でも祭りの後、船の上で舞いこむ船上獅子神楽は見物である。

由 緒

 当社の創祀は、宝永(1707)・安政(1854)の大地震による大津波で記録・古文書などすっかり流出しており詳にし難い。、社伝によれば、室町時代末より安土桃山時代の初めに他より勧請されたと伝えられている。又、近世の頃は、若宮八幡宮と称し早田の産土神として崇敬を集めた。明治6年(1873)に早田神社と改称し村社に列せられ、同42年(1909)同町に鎮座されていた松尾神社と稲荷神社を合祀している。境内社として稲荷神社(倉稲魂命)と恵比須神社(大國主命、事代主命)が祀られている。

特殊神事

早田船上神楽

 早田の地は、縄文土器や須恵器などが発見される程歴史深いところであるが、残念ながら郷土の古代についての記録が残っていない。旧事記、紀伊続風土記によれば、安和9年(153)に大阿斗足尼(おおあとたじのすくね)が熊野国造となり、初めてこの地方を治めてから鎌倉時代には、ここらの地名である比志賀(ひじか)が神宮の御厨のひとつであったことがわかっている。(建久四年~一一九三年の神鳳抄に記載)早田(船上)神楽(かぐら)の始まりについては、口碑で或時、神楽の神が流れついたのが神楽の始まりとあり、早田湾口に御鎮座(創祀不明)されている松尾大明神と呼ばれる松尾神社が早田神楽の守り神と伝えられている。又、他に見られる資料から、昔からたくさんの御厨が存在したこの地方は、神宮と馴染みが深かったので、江戸時代に伊勢神楽の石川宗家や池田宗家から北浦、矢浜、九鬼、早田、名柄の五町村に神楽が教授されたとの記述(おわせの浦村、他)とあり、このあたりからではないかと考察できる。早田神楽は、代々、青年団が中心となって伝えてきている。古くは松尾神社に船上で神楽を奉納した事から大型定置網の「夕持ち」に合わせる現在の形態となった。
 まず、正月より祭礼当日の十一日まで毎日神社の参籠殿にて神楽の練習を行う。(現在は新暦の2月11日なので、その数日前から練習をする)当日、午前10時より早田神社の例祭、宮司が役員総代、招待者等参列の中、修祓、御扉開扉、祝詞奏上と祭典を進めていき滞り無くおさめる。終了後、その場で御神酒配戴し参籠殿(現在は公民館)で直会を行い、正午漁港より船上神楽に出発する。大きな網上げ船二艘と伝馬船(てんません)二杯を用意し、網上げ船のひとつに館(やかた)を乗せて伝馬船のひとつに神楽一式(雄雌)をつみ大型定置網へ進む。網上げ船二艘が作業態勢がとれたら、「羽口」(網の入口)に伝馬船のひとつが進み御神酒で清めて、大漁を祈願(浦祈祷)して神楽の「剣(つるぎ)の舞」と「幣入れの舞」を奉納する。網上げ船が作業を始めると、続いて「漏斗口」で、更に「魚捕り」で同様な作法でそれぞれ神楽を奉納する。 作業が終わり漁港に帰る際、湾口の松尾神社の前を三周して同じく神楽を奉納する。又、帰路では網上げ船に獅子舞が分かれて乗り、舞い合いながら漁港へ戻る。船より上がり、最後に恵比須神社→魚市場→大敷事務所→漁業組合→稲荷神社→早田神社の順に神楽奉納して祭りが終わる。 尚、今日、松尾神社は早田神社に合祀されているが、船上神楽は昔通りの作法で執り行っている。しかし、残念ながら舞手が少なくなり、現在は網上げ船に分かれて舞い合うのは行っていない。
 又、隣町の九木神社でもお正月の神事として船上で神楽を奉納している。

 祭典日 2月11日 (以前は旧暦)

神社
コード
4223006
鎮座地 尾鷲市早田町 310
御祭神 譽田別命、倉稲魂命、大山祗神
祭祀 例祭 2月11日  稲荷祭 2月12日
アクセス JR紀勢本線「九鬼」駅 下車 駅前より早田町行きバス「終点」下車 徒歩1分