安乗神社   – あのりじんじゃ –

由 緒

 「志摩略誌」(正応3年、1290作)に、安乗神社の記述がある。
 また、口碑によれば、豊臣秀吉征韓の折鳥羽の城主九鬼嘉隆は、海軍を率いてこれに従った。船に乗って安乗沖まで軍を進めたが、帆に当たる風は凪ぎ船を進めることができなかった。嘉隆上陸して沐浴し、この地の八幡神社に戦勝を祈願したところ、順風がおこり海路おだやかに、目的地へ航海することができ、勝利につなげることができたという。嘉隆が上陸した場所を船付といい沐浴した浜を大垢離(おおごり)というようになった。帰朝後、九鬼嘉隆自ら本社に参拝して祭典を執行し、例祭日も定めた。
 祭礼当日、余興として手踊りをすることもこの時に始まった。この時以来毎年8月15日の例祭日には必ず代参が遣わされたが、廃藩と共に行われなくなった。当時の手踊りは、人形文楽として今に受継がれていて、無形文化財となっている。
 尚、安乗はもと畔乗と書いたが、嘉隆の軍が安全な航海の上大勝したことにちなんで、安乗と書き改められた。嘉隆が戦勝奉告参拝に訪れた時、松苗数百本を植樹としたと伝え、その2株は今も境内に育っているという。
鎮座地 志摩市阿児町安乗 844
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御祭神
祭祀
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