宇氣比神社(村松町) – うけひじんじゃ –



天王祭は五穀豊穣、大漁満足、疫病退散、町内安全を祈願して御神体(建速素盞鳴命)を 山車に奉じて町内を曳く祭りである。
御頭神事は市無形民俗文化財に指定された神事で、町内安全、五穀豊穣、大漁満足を祈願して獅子頭による舞をなし、町内除疫を祈るものである。
由 緒
当社の創始は不詳であるが、古くから村松の産土神として祀られていた。もとは八王子社と称したが、明治2年8月に改称して宇氣比社となった。明治40年3月には、境内神社であった末社(神名不詳)、塩ノ神社、中川ノ社、無格社の天神社の末社、神池の社を合祀し、明治42年5月には、無格社天神社と番外社秋葉神社を合祀した。更に同年6月には合祀令の一村一社の原則により、北浜村内の八玉社(有滝)、佐登奈加社(東大淀)、加須夜神社(柏)と統合され、村松と東大淀の立会地に新しく村社北浜神社として合祀された。しかし昭和26年3月に北浜神社から、八玉神社、佐登奈加神社、加須夜神社が分祀され、同年12月社名を北浜神社から宇氣比神社に改称し、翌27年神社を元宮地に移転し、今日に至っている。
特殊神事
御頭神事
宇氣比神社の御頭神事は正月十一日であったが祭日の変更により、2月第2土曜日に斎行される。村松町会、神職、神楽師、氏子総代、直衆、祭礼保存会等、総勢200名に及ぶ役人により行われる村松町二大祭礼(他に7月の祇園祭)の一つである。宇氣比神社の境内の御頭神社に祀られる御頭は、多気郡大台町上楠から宮川を下り、伊勢湾に出て村松の神池の海岸に流れ着いた。禰宜が「まこも」を差し出しあがって頂き神社へお祀りした。約600年であると伝えられる。昭和58年に、先代の傷みが激しいので二代目を奉製した。神楽師は昔、山田(現在伊勢旧市内)の方より来ていたが、教えを請い今は地元の神楽師が受け継いでいる。午前7時頃村松海岸にて、潔斎が行われその後正午過ぎに宇氣比神社拝殿にて役人打ち揃い「年酒の式」が執り行われる。午後二時三十分より「刀抜き」の行事が行われ、午後3時より町内各辻々にて「辻舞」が行われる。舞は「七起の舞」である。「八岐大蛇」が須佐之男命に退治される様を表したもので笛、太鼓、で奏楽される。午後8時より「山の神」にて青松葉約六百束を焚いて「ツムギ」が行われ、辻舞を終え町内の周辺で集めた穢や災いを「ツムギ」と共に、焼き払って御頭は神社に戻り午後11時頃終了となる。ツムギ場での御頭と若衆の押し合いは「ツムギ」の火が伏せ松葉で伏された暗闇の中行われ、赤と青の提灯に浮かび上がる御頭の姿は勇壮である。昭和33年伊勢市無形民俗文化財指定を受けております。収納櫃に記されている文言○村松御頭収納櫃に奉再興住吉大明神御頭ノコト永正十六己卯年五月二十日(1519年)今度御頭顎ニ書付有之候今度再興ニ付此所ヘ写シ書ス○奉再興住吉大明神御頭のこと、享保二十乙卯年八月(1735年)○奉再興御頭寛政五癸巳年五月十二日(1752年)当庄屋役佃六左衛門
| 神社 コード |
4216025 |
|---|---|
| 鎮座地 | 伊勢市村松町 3920 |
| 御祭神 | 天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命、湍津姫命、田心姫命、市杵嶋姫命、建速素盞鳴命、神命不詳六柱 |
| 祭祀 | 【例祭】旧8月18日 【天王祭】7月14日 【御頭神事】2月11日 |
| アクセス | 近鉄「明野駅」下車、タクシーにて5分。 |
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