布氣皇舘太神社   – ふけこうたつたいじんじゃ –

由 緒

延喜式神名帳には、垂仁天皇18年鈴鹿郡布気神社と見えている。昔、旧野村字に布気林という所があり、そこに奉斎してあったことから布気神社と称えたのであるが、文明(1469‐86)の頃に起った兵乱のため、社殿悉く焼失したため、後に皇舘の森へ奉遷したと伝えられている。皇舘の森の皇舘とは、垂仁天皇の御宇、天照大御神が忍山に御遷幸の折、大比古命が神田・神戸を献じ給うたことに由来する地名であり、野尻、落針、大岡寺、山下、木下、小野、鷲山の七ケ村を神戸郷と言い皇舘太神社を総社と仰ぎ、平素の尊崇は論を俟たず、大祭の奉仕に専念、殊に早魃の時には郷民こぞって参籠して祈ったということである。いろいろな名で親しまれたが、亨保8年(1723)に、吉田家から皇舘大神の神号を受け、布気神社皇舘大神となったが、明治41年6月より現在の社名となった。明治41年、近郷近在の小社・小祠を合祀して今日の神社になった。

特殊神事

獅子舞神事

 布氣皇舘太神社の獅子舞の起源は定かではないが、室町時代亀山藩主関一政より舞料として、米3石が寄進され、神戸(神辺)7郷(野村、野尻、落針、太岡寺、小野、木下、山下)を3年に1度巡舞して伝承されてきた。獅子頭と猿田彦命を象った(天狗)面があり、その製作年代も不詳であるが、古来より里人は『明神さん』或いは『御頭さん』と厚く崇敬し、丑・辰・未・戌の年の1月に14日間郷内を巡舞し、神楽の神事を行ってきた。しかし昭和40年代からは、元旦から3日までの巡舞となり、現在に至っている。

 舞の種類は、匹方を舞い清める「四方舞」、勇壮に舞う「乱曲」、ゆったりと華麗に舞う「花の舞」の3種類である。

神社
コード
4222005
鎮座地 亀山市布気町1663
御祭神 《主》天照大御神、豊受大神、伊吹戸主神《合》宇迦之御魂神、火之迦具土神、大山津見神、大名牟遅命、菅原道真、火之夜芸速男神、木花佐久夜比売命、宇都志国玉神、天宇受売命、五男三女神、帯中日子命、広国押武金日命、建速須佐之男命、猿田彦神、品陀和気命、稲田比売命、高御産巣日神、手力雄命、彦狭知命、手置帆負命