神明神社(新堂) – しんめいじんじゃ –
由 緒
新堂区の神明神社に楯岡区神明神社柏野区藤位神社御代区諏訪神社並びに新堂楯岡柏野御代に散在していた小祠を明治四一年八月一三日に合祀したものである。それぞれの口碑、社伝を列記する。新堂鎮座神明神社は現在地より西南一丁中出に祀ってあったが天正の乱の際、焼かれ現在地に合祀された。柏野鎮座の藤位神社は「三国地誌」に「藤位牛頭天王祠柏野」「伊水温古」には「柏野村有神牛頭天王河合高松より勧請」とある。いつの時代にか小字宮の前に遷座してお祀りしていたものである。それが天正九年の伊賀乱の際兵火に罹って殆んど全焼に帰し社殿の円柱一つだけ残った。それが神明神社の宝庫として残っている。その創建年代については寛文七年(1667)棟札、天文二年(1533)五月寄進の大般若経などにより天正天文以前からの小祠であったことが明らかである。楯岡鎮座神明神社は氏子の秘蔵の祭祀帳に天正九年伊賀国兵乱の際兵火に罹り全焼に帰すとあることから天正乱後再建したものであろう。御代鎮座の地に鎮座せられてあったものを元亀二年(1571)小字山下に遷座したことが知られる。特殊神事
山の神と鍵引き神事
「山の神」は、明治になって神社の祭神を改めて決めたとき神道家によって日本神話にでてくる大山祇神にあてたが、元々は山に宿る神の総称である。そのため、その性格づけや祀り方は、山に住む山民と、麓に住む農民とで異なる。山民の間では、山の神は一年中山にいると考えるが、農民の間では、山の神が春になると山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻ると信じている。
どちらの場合も、山の神は一般に女神であるとされ、1年に12人の子を産むとされるなど非常に生殖能力の強い神とされる。また、山の神は醜女であるとする伝承もあり、自分よりも醜いものがあれば喜ぶとして、顔が醜いオコゼを山の神に供える習慣があるところもある。
「山の神」と刻まれた石碑を神の依代として豊作を願う住民の生活に密着した信仰があった。
神明神社氏子圏の新堂・楯岡・御代・柏野域では、現在は石碑の所在が明らかでないが、毎年正月5日に神明神社の広庭で鍵引き神事を行っている。
鍵引き神事のための大注連縄の製作は、毎年、新堂・楯岡・御代・柏野の順で担当し、前日の正月4日に参篭舎に集まって注連縄縫いをする。完成すれば、神社前の桧の神木と杉の神木の間に掛け渡し、長さ2mほどの枝木(朴の木などの雑木)で作ったカギを掛けておく。以前は注連縄に「山の神の弁当」という意味で麦・米・豆などをいれた藁苞を掛けたが、現在では中身は入っていない。
明治42年の氏子総代会の記録に
山神例祭の件(正月5日)
注連を神社の頭に引廻し鍵4丁(2丁くくり)を注連に掛け参拝者各自随意に引くものとす。但注連は(すぐり藁)1束4把大字交替に製作し神酒は2升小使神楽所に於て授与するものとす、明治42年は大字新堂次は抽籤のこととある。正月5日午前8時、参拝者によって鍵引き神事が始まる。参拝者がカギを持ち、氏子総代長の「山の神鍵引き音頭」1区切りごとのウワーイに合わせてカギを引く。
| 神社 コード |
4209012 |
|---|---|
| 鎮座地 | 伊賀市新堂 1192-2 |
| 電話番号 | 0595-45-4449 |
| 御祭神 | 《主》大日孁貴命《合》大物主命、木花佐久夜比売命、応神天皇、大山祇神、建速須佐之男命、火産霊命、受持命、菅原道真、建御名方神、八王子神、布都御魂神、天水分神、 |
| 祭祀 | 例祭 3月25日 |
