鸕宮神社 – うのみやじんじゃ –

由 緒
事代主命、大那牟遲命、神倭磐餘彦命、菅原道真、木花咲夜比賣命字谷尻村社鸕宮神社の鎮座にして由緒は「明細帳」に「創立由緒不詳ト雖モ延長風土記曰ク嶋ヶ原山出松竹柏有異鳥有神號天王社事代主之垂跡也 土俗傅ニ曰ク人皇四十七代廢帝ノ御宇皇上近江保良都ヨリ南都ヘ御幸ノ際當村ニ御休憩アリテ一ノ堂宇ヲ建設セント良辨僧正ニ命シテ観音堂建築セシメ是ヲ正月堂ト稱ス(今ノ観音提寺是ナリ)後南都ニ於テ2月3日ノ兩堂ヲ開基セラレタリ而シテ其ノ二月堂ノ香水ノ井邊ニ鸕宮神社アリ事代主之神ヲ祭リ衆庶大ヒニ尊敬スト是ニ於テ里民鸕宮ノ神ヲ迎ヘ正月堂ノ近辺ニ奉祀セハ南都ト相似タリトテ此地ニ勧請スト云フ 本社ニ菅公ヲ奉祀セシ所以ハ天正11年2月25日洪水ノ際流レ來リテ字上川原ノ梅樹(今ニ古梅樹一棟ヲ存ス)ニ止マリ給フニ依ル蓋シ何ノ地ニ座セシヲ知ラスト雖モ菅公御自作ノ木像ナルコト明ナリ」とあり市杵島姫命以下の九柱御祭神は明治39年同40年に各地より神社合祀の當時合祀セシモノ当社の祭神は、事代主命外十四柱で創立由来は、天平勝宝四年(七五二)奈良東大寺の実忠和尚が開創された村内にある正月堂との関係が深い。南都に於いて、二月三日両堂を開基され、二月堂での修二会(しゆにえ)の行法に全国一万三千七百余所の神々を勧請の際、釣りをしており遅参した若狭国遠敷明神が後悔され、実忠和尚の夢枕に立って、若狭の清水を毎年修二会行法中観世音に献ずる旨伝えたところ二月堂参道下の岩石が裂け、白黒二羽の鵬(う)が裂け目から飛び立ち、清水がこんこんと湧き出したという。このことから修二会の行法が「お水取り」の名で有名になり、実忠が感銘して遠敷明神を員弁杉の下に祀り、翁に因んで「鸕宮神社」と称し衆庶大いに尊敬した。 是に於いて正月堂の修正会と二月堂の修二会が略同じ行法の厳修をする関係で、二月堂の鶴宮社を正月堂東南の地(現在地)に奉祀したら神妙なるべし、又南都と相似たりと勧請したのである。
菅原道真公を奉祀した由来は、天正十一年二月二十五日の洪水の際流れ来て、上川原の梅樹に止まられたのを里人邸内社に合祀したが、夢のお告げにより、雷除天神として鵬宮神社に合祀し、雷除の霊験あらたかにして、寛文六年五月神恩奉謝の意をこめて奉献した、四角灯寵(指定文化財)が拝殿左裏に建てられている。
表参道口左側の巨大な石灯寵(文化財指定)は、高さ十六尺(5. 2 8メートル)、総重量一四四七〇貫(54、261kg)、建立は天保十四年(18 4 3)九月で、田畑、山林が混雑し相続にも困る状態で、八ケ年掛けて畝高を改め、無事大事業が完成したのは氏神さまのおかげであると感謝して、村人が木津川から運び米俵を持寄り積み上げたと伝えられている。大石燈観の寄進と併せて水帳の取調帳(田畑農改帳全村分十一冊)が奉納されている。
特殊神事
滝まつり
滝まつりは、島ヶ原川南地区に鎌倉時代以前より伝承されている行事で、毎年田植えが終わるころ、6月6日前後の農休みの前日に行われる。
当時は、宮司・区長・代理区長のほか年番奉行2人が奉仕し、川南区を流れる三ツの川の滝を巡る。
最初に鵜山の滝、次に東の滝、西の滝と神饌を供え、宮司が祝詞を奏上して「水の恵みにより、田植え作業が滞りなく無事終了したことを感謝し、今後も風水の被害がなく稲作をはじめ、五穀豊穣を祈願する」行事である。
この行事には次のいわれが伝わっている。東の滝では鶏が鳴けば、何か不幸をしらせるといい、西の滝で猫が啼くと何か悪い知らせがあると言って共に家に帰るように言われている。
虫送り
毎年、夏の土曜(7月20日ごろ)川南区奉行二人が鸕宮神社へ午後参拝しこの行事祈願をして、御神火を受け南区の守護神、稲荷神社へ持ち帰る。この御神火が虫送りの火種となる。
祈願の後、火種から松明に火が移され、区長をはじめ地区民の老若男女が一斉に稲荷神社を出発し、鉦をたたきながら「稲虫送り虫、あとや先トウトウ」と繰り返しながら神符を先頭に捧げて、田んぼの畦道を行く。最後は木津川の岩上に神符をのせ鉦を盛んにたたいて行事が終わる。
この虫送り神事は、稲作の害虫と村人たちの悪病をも共に総て川に流し去るという行事である。
| 神社 コード |
4209002 |
|---|---|
| 鎮座地 | 伊賀市島ヶ原 4689 |
| 電話番号 | 0595-59-2065 |
| 御祭神 | 《主》事代主命、《配》大那牟遅命、神倭磐余彦命、菅原道真、木花咲夜比売命、《合》市杵島姫命、建速須佐之男命、天照大神、豊宇気大神、建御名方神、大物主神、大山祇神、品陀和気神、少那比古神、稲倉魂命 |
| 祭祀 | 祈年祭 春の例祭 秋の例祭 新嘗祭 |
