諏訪神社(丸柱)   – すわじんじゃ –

由 緒

当社の創建は室町時代、元亀年間(1570~1572)と伝えられる。長野の諏訪大社から勧請して祀られたものなり。本殿等は天正9年(1581)織田信長の伊賀侵攻の兵火により焼失する。現存する社殿は明治4年再建のものである。
宗旨祭
宗旨祭の起源は不詳であるが、元禄時代のころから約300年丸柱に伝わる祭りである。この祭りは氏子の結束を固めるのはもとより、師走の月に行われるので村内の繁栄と一年の農作物の豊穣に感謝する祭りである。当日は戸主、長男はもとより村人全員が、神前に参集することにより村人として認められるとされる。明治22年市町制が実施され、丸桂村が誕生することになるが、この頃には現存する宗旨祭礼の型が整ったと考えられる。この祭りに奉仕する者は当家と言い、氏子の中より初老者が務める。初老者の補佐として若役一人、年寄役一人となる。毎年十二月一日午前零時、当家は村の中央を流れる川の清流で喫をして身を清め神前に供えるもち米をかす、つづいて若役がこれを代行する。かした餅米は神社境内の参鏡台で、年寄役が伊賀地方に伝わる祝い歌を唄う中当家・若役は餅をつく、そのあと神社総代がこれを検証し、神前に供えられる。昭和三十九年の宗旨祭より以前の当家制を廃止し、村中の十八各組が輪番で務める各組当番制となった。当日午後二時、本殿において宗旨祭典が、 丸柱区長・宗旨当番組長・神社総代等が参列して執り行われる。神前には神饌物の海魚・野菜・果物のほか宗旨祭礼のお供えとして洗米・清酒鏡餅・小餅・スルメなどが供えられる。祭典に引き続、隣接する参籠舎において宗旨祭礼が氏子の全戸主・長男等が、アツケ(御膳料)を持参して参加、執り行われる。全員が着座し、太鼓を合図に当番組長の挨拶があり、撤下の神酒・洗米を第一献・第二献・第三献と続いて拝戴する。座前の膳には、昆布茶・焼魚・豆・蒲鉾・昆布巻などが準備される。参加者には撤下品として小餅・スルメなど配られる。次に当家渡しが行われ、最後に次年度の当番組長が受けて、挨拶をして宗旨祭礼が終了する。

特殊神事

宗旨祭

 12月1日

 宗旨祭の起源は不詳であるが、元禄時代のころから約300年丸柱に伝わる祭である。
 この祭りは氏子の結束を固めるのはもとより、師走の月に行われるので村内の繁栄と一年の農作物の豊穣に感謝する祭りである。
 明治22年市町村制が実施され、丸柱村が誕生することとなるが、この頃には現存する宗旨祭礼の型が整ったと考えられる。
 当日は氏子の戸主、長男はもとより村人全員が、神前に参集することにより村人として認められるとされる。
 この祭礼に奉仕する者は当家と言い、氏子の中より初老者が務める。初老者の補佐役として若役一人、年寄役一人が補佐する。
 毎年12月1日午前0時、当家は村の中央を流れる川の清流で禊をして身を清め神前に供える餅米をかす、つづいて若役がこれを代行する。かした餅米は神社境内の参篭舎で、年寄役が伊賀地方に伝わる祝い歌を唄う中、当家・若役は餅をつく、そのあと神社総代がこれを検証し神前に供えられる。
 昭和39年の宗旨祭より以前の当家制を廃止し、村中の18各組が輪番で務める各組当番制となった。
 当日午後2時、本殿において宗旨祭典が、丸柱区長・宗旨祭当番組長、神社総代等が参列して執り行われる。
 神前には神饌物の海魚・野菜・果物ほか宗旨祭礼のお供えとして洗米・酒・鏡餅・小餅・スルメなどが供えられる。
 祭典に引き続き、隣接する参篭舎において宗旨祭礼が氏子の全戸主・長男等がアツケ(御膳料)を持参して参加し、執り行われる。全員が着座し、太鼓を合図に当番組長の挨拶があり、続いて撤下の洗米・酒が配られ、第一献・第二献・第三献と神酒を拝戴する。座前の膳には、昆布茶・焼魚・蒲鉾・昆布巻などが準備される。
 参加者には撤下品として小餅・スルメ等が配られる。次に当家渡しが行われ最後に次年度の当番組長が受けて挨拶し、太鼓の合図で宗旨祭礼の行事が終了する。

神社
コード
4209009
鎮座地 伊賀市丸柱 1545
電話番号 0595-44-1200
御祭神 《主》健御名方命、《配》大日霊貴命、天児屋根命、大山祇命
祭祀 10月第2日曜日
祇園祭 7月第1日曜日
宗旨祭 12月1日