菅原神社(上野東町 ) – すがわらじんじゃ –



由 緒
当神社は、贈太政大臣正一位菅原朝臣道真公を主神とし、古く上野村に祀られていた九社神社を相殿としてお祀りしている。古くは天満宮と申し上げ、又、天神宮とも称し、通称お天神さんと親しまれている旧上野町43ケ町8千戸の惣社である。文学の神様としての信仰が篤く、合格祈願を始め文芸の上達を祈る、参詣者が年間に亘り社頭を賑わせている。又、伝説による牛馬との関係から牛馬の守護神としての特殊信仰があり農事や畜産関係者の崇敬も深く5社詣りの中心的な社柄でもある。
古くは上野山平楽寺の伽藍神であったが、天正9年(1581)織田信長の兵乱後に今の地にお遷しいたし奉斎せられたと云われている。初代藩主藤堂高虎公が関ケ原の戦(1600)の後、伊予今治から伊勢安濃津に移封せられ、大阪方に対する要塞の地として伊賀に出城を構え、城下町の区画を整備し今日の上野の町の基が築かれたものである。当神社は藤堂藩の祈願所に定められ18石余の祭祀料が寄進され、境内の拡張社殿の修復鐘楼の建立など手厚い庇護のもとでいよいよ栄えて、明治維新に至って郷社に列し、次で県社に昇格し神饌幣帛料の供進社に指定された。
御祭礼について 数多い御祭礼の中でも、渡御祭は盛大で、秋祭りは10月19日から26日に及び19日の早朝2基の神輿は本社から東旅所(市内車坂町)へ渡御し、23・24日の両日は東旅所において宵宮祭が斎行され、25日に御奉仕する稚児(幼童)の宵宮参りの後、宣状の授与が行われる。
市中でも上野文化美術保存会による神賑が、23日は宵山、24日は足揃と称して絢爛豪華な楼車に雪洞に灯を点じ、又、大小様々に仮装した百数十体の鬼行列が市中をねり歩き楼車の引き廻しが催される。
25日の本祭は東旅所を発し、本町通りを神幸して幸坂町の西旅所へ渡御、御昼祭りを執り行い、午後は二の町通り、三の町通りを巡幸して、同3時頃に御本社へ還り秋の例大祭が執行される。日本最大と云われる30余貫(120㎏)の大御幣を先頭とし、役の行者が大峯入りに凝らしたと云い伝えられる大鬼小鬼の奇妙な仮装行列が続き、次に9ケ町の楼車が神輿に供奉し巡幸する長蛇の列は、紅葉に映える城下町伊賀上野の粧いこらした一大絵巻であり、400年の伝統が偲ばれる。
当日の参詣者は伊賀一円はもとより、県内を始め、滋賀県、京都府、奈良県など隣接する方面からの参詣者も多く10数万人を数え、境内を中心に市内各所に露店が軒を並べ、市内は歩行者天国となる(現在は25日直前の日曜日に渡御祭が斎行され、それに伴い前々日に宵山、前日に足揃が催される)。昭和31年上野天神まつり として県無形民俗文化財、また平成14年「上野天神祭のダンジリ行事」が国重要無形民族文化財に指定を受け、平成28年にはユネスコ無形文化遺産に登録された。
芭蕉と当神社との関係について 芭蕉がその処女作である「貝おほひ」の自序の末尾に「神楽の発句を巻軸にをきぬるハ、歌にやハらぐ神心といへば、小歌にも予がこころざすところの誠をてらし見給ふらん事をあふぎて、当所あまミつおゝん神の御やしろの手向ぐさとなしぬ。寛文12年正月25日伊賀上野松尾氏宗房釣月軒にしてミづから序す」とあり、あまミつおおん神の御やしろは、天満天神の御社天満宮即ち当神社のことである。芭蕉は俳諧をもって身を立てんと志ざされ、江戸へ下行されるに当り、先ずその処女作「貝おほひ」を自分の生まれた伊賀国上野郷里の氏神さま天神さんに献納し、自らの文運を祈願した由緒ある神社として、いま市文化財「史蹟」に指定されている。
当社は文学の神として広く世の人々の崇敬を集めていることは、芭蕉の立志の祈願社であったこともその要因のひとつかと思われる。
| 神社 コード |
4218001 |
|---|---|
| 鎮座地 | 伊賀市上野東町 2929 |
| 電話番号 | 0595-21-2940 |
| 御祭神 | 《主》菅原道真、《配》天照大御神、伊邪那岐大神、建速須佐之男神、応神天皇、宇迦能御魂神、天児屋根命、建御名方神、大山咋命、速玉之男神、八王子、稲田比売命、安閑天皇 |
| 祭祀 | 宵山・足揃え・渡御祭(上野天神祭) 10月25日直前の金・土・日曜日 例祭 10月25日 |
| アクセス | 【お車でお越しの方へ】 西名阪自動車道 上野東ICまたは中瀬ICより約5分 ※参拝者駐車場数十台あり、無料でご利用頂けます 【電車でお越しの方へ】 近鉄大阪線「伊賀神戸」駅乗継、伊賀鉄道上野市駅(忍者市駅)下車徒歩約5分 JR関西本線「伊賀上野」駅乗継、伊賀鉄道上野市駅(忍者市駅)下車徒歩約5分 ※大阪方面・名古屋方面ともに高速バス上野市駅もございます |
| WEB サイト |
https://www.sugawara25.jp/ |
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