須智荒木神社 – すちあらきじんじゃ –


神紋 笹竜胆 例祭 10月20日 その他年中恒例祭儀 9回
境内神社 鎮霊社(地区内戦歿者の霊)社殿 本殿(神明造) 拝殿 社務所 参篭所 境内 350坪 境外 300坪
由 緒
当社は創祀については、詳らかにはし難い。須智の稲置の一族が、この地を開墾し、ここに奉祀したものと考えられる。平安時代には伊賀国阿拝郡の小社須智荒木神社として、延喜式内社に列せられた。天正9年(1581)の天正伊賀の乱に際して、伝世の古記録・古文書のことごとくを焼失した。只一つ伝承として鎌倉時代に伊賀守仲教なる人物が、社殿を造替したと伝えられている。仲教は寿永2年(1183)伊賀守に任じられており、あるいは鎌倉時代初期に社殿が修造されていたことになろう。その後、慶長17年(1612)社殿再建。江戸時代にはあつく崇敬され当社の他、敢国神社・菅原神社・愛宕神社・浅宇田神社(現・八幡神社)をあわせて伊賀五大社と称し、領主入国の折りに必ず参拝するのが例であった。俳聖・松尾芭蕉も当社で詠んだ句を遺している。「元禄3年(1690)3月11日 畠(はたけ)うつ音やあらしのさくら麻(あさ) ばせを 荒木村白髭社にて」の句碑が境内に建てられている。この句は、伊賀藤堂藩士の岡本木白(ぼくはく)主催の句会において、前年に奥の細道の旅を終え、伊賀上野に里帰りした芭蕉47歳の作。季語は「畠打つ」で春、嵐と荒木を掛けている。
また、寛永11年(1634年)、日本三大仇討として歌舞伎などの演目で有名な鍵屋の辻(現三重県伊賀市小田町)、伊賀越の仇討ちの剣豪・荒木又右衛門は荒木村出身で刀を奉納し、仇討の成就・勝利の祈願をしたとの伝承がある。
明治41年(1908)大字西明寺鎮座の八幡宮をはじめ29社をそれぞれ合祀した。昭和6年(1931)村社から郷社昇格。昭和21年(1946)社格廃止。宝物 石造大灯篭(地上高5m、安政2年(1855)作の在銘を有す。)
| 神社 コード |
4218018 |
|---|---|
| 鎮座地 | 伊賀市荒木 108 |
| 電話番号 | 0595-23-1681 |
| 御祭神 | 《主》猿田彦命、《配》武内宿禰命、葛城襲津彦命《合》誉田別命、菅原道真、火魂日命、大日孁貴命、須佐男命、市杵島姫命、金山彦命、大山祇命、天児屋根命、天万口幡千幡比売命、宇迦能御命、大鷦鷯命、弥都波能比売命 |
| 祭祀 | 例大祭 10月20日 春祭 慰霊祭 新穀感謝祭 |
