射手神社   – いてじんじゃ –

由 緒

一、例祭日(10月12日宵宮祭、10月13日例大祭)当神社は第四〇代天武天皇瑞夢に依り射手山(現地より西へ2キロ三軒家の地)に勧請し給ひしものにして900年後の天正9年伊賀乱の戦災により焼失せるも仏性寺跡(現在の社地)に移し奉り奉斎せるものなり(慶長10年の棟札あり)。源義経、木曽義仲追討の際当射手神社に参詣戦勝を祈願せし折感応あり奉謝の為、矢を奉納せしことは源平盛衰記に左記の如く記せり。「是より長田里花園と云う所を廻りて射手大明神の前を笠置に懸ても道能候と申・・・射手大明神とは何なる神にて御座ると問給へば其事までの事争知り候べきいとど・・・は射手と書て候なれども申易きに付いとどと申候とは承と云ければ九郎義経戦場・・・に向ふにあをた首落道禁忌也射手明神可然とて長田里花苑を廻り射手大明神の前に下馬し給ひ所願成就と祈祷して云々」又茅栗双子に、「寿永の比木曽義仲を討亡し洛陽の譟を鎮めよと頼朝の命により大将にハ三河守範頼勢多に向ふ九郎義経は搦手となり山城国宇治より都に入らんとし当国を押通るその道條なれば長田の荘花園の宮射手社へ詣でそれぞれ武器を奉納し‥‥‥」とあり。以来当社を戦勝勝運の神として崇敬する者多く勝運の神としての信仰を深めたり。更に西行法師伊勢に住せし頃当社に度々参り来て読める和歌に、「あづさ弓 ひきし袂も ちからなく 射手の社に 墨の衣手」

一、文化財並宝物 ◎石造13塔(南方塔、鎌倉末期の作)重要文化財指定。○銅製経筒1口、経巻8巻(永暦元)平安後期、旧重要美術品(現県文化財) 経巻8巻は朱墨交書経であり第7巻には永暦元年9月云々の朱書の奥書あり、朱墨交書は数行又は1枚づつの書記であるのが注目すべき点である。○宝物は源義経奉納の矢鏃。棟札(慶長10年、元禄10年、享保4年、その他)

 一、年間祭礼日 元旦祭1月1日。厄除祭節分当日。春季大祭3月28日。新嘗祭11月28日 春祭当日は戦死戦没者の慰霊祭も斎行され合せて、伊賀市内高等学校の奉納弓道大会が行はれる。

特殊神事

【山の神 鍵引き神事】1月7日

 地区内を南北に分け、毎年に前日の1月6日午後から山の神さん周辺をきれいに掃除して、落葉等を燃やして置火を明朝の為に残しておく。

 当番に当った地区では注連縄を縫って、木から木へと注連縄を張る。その所へカギ引きの枝(長さ1m50㎝位の樫の木)を各家の男の数だけを束にして引っかけておく。翌1月7日朝6時30分頃より地区内の男衆が出てカギ(鍵)引き行事に入る。7時頃、全員そろった頃を見はからいお神酒を一杯いただいた後、お互いに呼び込み歌を歌い、カギの枝を力イッパイ引っ張る。

(歌)
東の山から宝を呼び寄せよ、ヨイショ、ヨイショ
西の山から福を呼び寄せよ、ヨイショ、ヨイショ
ハイショーと掛け声よろしく「福」を招く行事を行う。

 鍵引き神事の習慣のある地域は谷川の水が北東(鬼門)の方角に流れている地区のみに残っていることに注目したい。尚、昔は子供も参加していたが今は参加しない。また、男だけの行事である。


【注連縄神事 1月第2日曜日】

 毎年1月11日(現在は第2日曜日、伊賀市長田平尾地区において、区民総出で注連縄神事が執り行われる。

 この神事は、約380年もの前の寛永年間から行われていたとされ、病気や悪魔の進入を防ぎ、地区民の平穏無事を祈る新春の伝統行事である。

 当日は平尾区民(37戸)が稲藁12把ずつ持ち寄り、公民館の内外で注連縄や注連縄に付ける飾り物【箒・鍋取り・瓢箪・鍋敷き・樽・鯛・馬】を作り、完成後公民館前広場において、神事が行われ、その後悪をはらい(箒)幸福をつかみ(鍋取り)浮世(瓢箪)を渡り(輪=鍋敷き、樽)たい(鯛)という語呂合わせにより全長約80メートルの注連縄に取り付け地区の西端の通称山前坂の平野川の上に張り渡すものである。

神社
コード
4218008
鎮座地 伊賀市長田 2691-1
御祭神 《主》応神天皇、《配》玉垂命、八神霊、伊邪那岐命、宇迦能御魂神、菅原道真、大山祇神、弥都波能売神、武比良鳥命、建速須佐之男命、五男三女神、仁徳天皇、八衢比古神、火産霊神
祭祀 例祭 10月13日
アクセス 名阪国道「上野IC」から車で約15分