敢國神社 – あへくにじんじゃ –



由 緒
【御神徳】交通安全、家内安全、商売繁盛、金運向上、鉄工業繁栄、大漁、厄除御神徳 大彦命は第八代孝元天皇の第一皇子にましまして東北未開の地を教化の後、一族を率ゐてこの地に永住し給ひ、伊賀の国の開発に尽し給うた。伊賀開拓教化の祖神と仰ぎまつる所以である。その後裔は阿部・阿閉・敢・名張・伊賀等を氏として諸国に繁栄し、世にあべ姓を称するものの総祖神にまします。殊に家内安全、交通安全、健康長寿等の御霊徳を有し給ふ神にまします。少彦名命は造化の三神である産霊神の御子神として神功の最も霊異なるによって普く知られ、大国主命と力を協せて国土経営に当り給ひ人畜救護の為に医薬・温泉・禁厭の法を創め酒造の道を開き給ふ等其の恩沢に浴するもの万世に尽くることがない。世に『ゑびす様』と称し商売繁昌、大漁満足、五穀豊穣の守護神にまします。だいこく様と共に福の神様として広く崇敬せられ神助を仰がるるも亦斯る霊験ましますが故である。又、縁結び、安産の守護神として神社に縁結社、桃太郎岩の霊巌が祭祀されている。金山比咩命は御名の如く金の神にましまして金銀銅鉄の本質及び其の運用を主宰し給ふ。即ち採鉱・冶金・機械工業其の他金属に関係ある一切の事柄に霊験を垂れ給ひ、人類生活の幸福利益を守護し給ふ。伊邪那美命の神々を産み給ひし時火の神の次に成りませる神にまします。沿革 当社は古来伊賀の一宮として、朝廷の崇敬頗る篤く、殊に当国の人々は総鎮守大氏神と仰ぎまつって其の霊徳に浴して来た。創立年代は詳でないが貞観の頃既に神階五位を授けられ、延喜の制には大社に列せられた。延長年間には朝廷から社殿が修造せしめられ、南北朝時代には、後村上天皇行幸ましまして数日間御参篭あらせられ、社領の御加増もあった。天正年間兵燹に罹って一時荒廃したが徳川時代になって藩主藤堂家から社殿調度の修営・神器社領の寄進・祭儀神事の復興等が行はれ尊崇極めて深かった。明治4年5月国幣中社に列せられたが昭和21年2月官制廃止によって国家の管理を離れ現在は宗教法人として神社本庁に所属し氏子崇敬者によって維持経営されることになってをる。丹塗の御殿は朝日夕日に映じ御神光燦として輝き神域の尊重さと祭神の御加護にその霊徳の尊さを伺はせしめられます。御祭典 毎月1日 月次祭 4月17日 春祭 11月23日 秋祭 12月4日 神幸式 12月5日 例大祭 古来例祭は 伊賀のおんまつり と称し遠近からの参拝者が多く大祭中最も盛な御祭である。獅子神楽 1月3日 初舞祭 4月17日 舞上祭 史蹟名勝 南宮山 当社の前方にある高峰で伊賀富士ともいひ、頂上に末社浅間社がある。金山比咩命の旧社地で四季共に眺望佳絶である。御墓山 当社の北方約壱粁佐那具町にあって東西約45米南北約100米といふ広大な前方後円の古墳である。御祭神大彦命の御陵墓と伝へられてをる。
特殊神事
【獅子神楽】 三重県無形民俗文化財指定
起源は鎌倉後期頃か室町前期であると云われている。
江戸時代には、藩主藤堂高虎公が上野城からみて当社が丑寅鬼門の方角に当たるとして、鬼門鎮護の神として正月3日城中に獅子神楽を引き入れ、祝儀として祝祷した。この後3組に分かれ昭和20年代迄、伊賀国内の字を廻り、「悪魔祓」・「厄除御獅子」として伝承されている。昭和29年4月には三重県無形民俗文化財に指定され、伊賀市一之宮在住の方々によって、伝統文化を護持されている。現在では、正月3日の舞初式、4月17日の舞上祭、12月5日に当社例祭に当るおんまつりに奉納している。
| 神社 コード |
4218014 |
|---|---|
| 鎮座地 | 伊賀市一之宮 877 |
| 電話番号 | 0595-23-3061 |
| 御祭神 | 《主》大彦命、少彦名命、金山媛命、《配》九所社、六所社 |
| 祭祀 | 神幸祭・おんまつり 12月4.5日 舞初祭舞上祭 1月3日・4月17日 黒党祭 11月23日 |
| アクセス | 上野市駅までの高速バスがございます。 お車で名古屋方面からお越しの方は、伊賀一之宮IC(12番)を降りたらすぐに名阪国道のトンネルをくぐってください。 |
| WEB サイト |
https://aekuni.jp/ |
