神戸神社(上神戸) – かんべじんじゃ –

由 緒
往古より現在地に鎮座穴穂神社と称せしが、明治41年10月村内諸社を合祀し社号を今の如く改称 大日霊貴命、天太玉命、倭姫命を奉斎せり。倭姫世記に曰く崇神天皇66年12月朔日伊賀国穴穂宮遷幸積四年奉斎爾時伊賀国造箆山神戸並地口御田細鱗取渕梁作瀬等を進め朝御饌夕御饌供進云々、然後垂仁天皇即位2年同国敢津美恵宮に奉遷す而れども土民猶其神徳を尊重崇敬して以て神戸郷産土神と奉斎し今に連綿歴然たり。其の遺業の存するや毎年6月1日(現在7月8日初魚掛祭)の神事に細鱗を以て最第一の御贄とすること定例たり。延長伊賀風土記に暗崎川に鮎鮒出づと見え、伊水温故に暗崎川神館の川上と云うとあり 最も此川最上の鮎を出すなり。猶其他礼典古儀等省略すと雖も悉く伊勢神宮に准じ社殿及び鳥居に至る迄20年目造営し奉る、況んや神戸の村号空しからざるおやとあり。明治41年4月25日許可を受け本社境内社、天児屋根命、天手力雄命を又大字比土字山下684番鎮座村社比地神社祭神天忍穂耳命、亦境内社八幡社祭神誉田別命、大字古郡字北川556番鎮座村社38神社祭神経津主神鹿嶋御子、大字枡川字狭間638番鎮座村社穂杉神社祭神三穂津姫命を合祀して神戸神社と単称せり。当社の基源は上古にありて天照皇大神伊勢の五十鈴の川上に今の如く御鎮座あらせ給う以前の御事にて洵に古き郷土の神社なり、乍去中世幾多の変遷を免れず名実相沿わざる事とも成り果てしは是非もなき事なりき。然るを明治の御世に至り神仏を分離し敬神の途を明らかにすべしとの御沙汰一再ならず、其後各神社整理の事も行われて即当社の如きは率先して合祀をなせる所以なり。かくて氏子数は増加し崇敬者も広く多くなりければ当社の隆昌は益々期待すべきものあり。是れ等神徳の然らしむる所ならん抑々聖代の賜なりと謂うべし、而して当社には飛地境内社高瀬神社を有す。此社は大字比土高瀬代1972番地にして高瀬大神鎮座す、然るに明治41年2月6日同字前谷2241番鎮座村社蔵鍵社祭神猿田彦神を始め四柱の神を合祀したるも大正10年8月23日神戸神社の飛地境内社となり所定の祭祀を受くるに至れり、距離社頭より2キロ村の南端に位置せり。尚当神社は明治44年即第57回神宮式年遷宮には神宮風日祈宮古殿在形の侭拝領其侭移築し又昭和4年第58回神宮式年遷宮には同様神宮風日祈宮古殿及瑞垣御門並び付属物等を拝領造営し奉り、次で昭和28年第59回神宮式年造営には終戦後各方面神社より神宮古材払下の出願多数の処、特に当社は従来通り神宮風日祈宮古殿を在形の侭拝領昭和30年同50年秋旧儀の如く式年造営し奉れり。爾来往古より伊勢神宮皇大神両宮との由緒古跡の文献を尊重し古来よりの旧儀を復活し、当社氏子より毎年6月14日には必ず塩干の初鮎(1800尾)を神宮の月次祭御神饌として御奉納し、又神宮神嘗祭には神宮カケチカラ会を通して籾米を奉献するなど、亦神宮神田御田植には当社敬神婦人会より25名奉仕又秋の抜穂にも20日間60名の御奉仕等、本崇大神に対し奉る信仰と報恩感謝の誠を捧げるを毎年の行事として今日受継ぎ実践し来れり。神戸神社は20年に1度遷宮をする、伊勢神宮の古材を拝領して遷宮する最近では平成27年に行った、静かな境内には杉・桧が多く、伊賀の国をおさめた藤堂高虎公が伊予今治より移りし時、植へられたと伝へられる伊予杉がある特殊神事
【初魚掛祭】7月8日
特殊神事として7月8日に初魚掛祭が行われる、宮座14座の内から頭屋長を出し奉仕する。
首座は天児屋根命の子孫と称する「神卜座」天太玉命と称する「幣座」がある
祭当日の末明暗崎川の潔斎場からくみあげた水を拝殿前に据えられた湯釜で沸かし「探湯主」が呪文をとなえ「盟神探湯」をする、これを神和の儀といい熱湯につけた笹で頭屋を祓う、この時「あっ」という言葉を発してはならないきまりである
祭日まで身心ともに清らかにすごすことを神に誓うのである。認体を探る儀式である
尚湯釜には「寛政4年9月27日依那具村工人治右衛門」の銘が刻まれている
| 神社 コード |
4218025 |
|---|---|
| 鎮座地 | 伊賀市上神戸 317 |
| 電話番号 | 0595-38-1063 |
| 御祭神 | 《主》大日孁貴命、天児屋根命、倭姫命、天太玉命、口機千千姫命、天手力男命《合》天忍穂耳命、三穂津比売命、弥都波能売神、火之迦具土神、大山祇神、大物主神、市杵島姫命、猿田彦神、大海津見神、金山彦命、速須盞男命、事代主命、八柱皇大神 |
| 祭祀 | 例祭 11月3日 祈年祭 3月1日 春祭 4月25日 慰霊祭 4月25日 初魚掛祭 7月8日 新嘗祭 12月1日 |
