大山祇神社   – おおやまつみじんじゃ –

 大山祇神社は瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山祇神社の末社である。氏子は旧鳥羽町の九町の内、中之郷、錦町、横町、藤の郷の四町の氏神様であり、例祭はこの四町が輪番で、各町4年に一度、当番町として奉仕している。四町の内、中之郷、横町、藤之郷が「獅子と天狗の舞」を奉納し、錦町は「神輿練りこみ」を神祭とし社前に奉納し、各町内を巡行する。氏子、町内の祭りとしてだけでなく「鳥羽まつり」として多くの人で賑わっている。

由 緒

 文禄3年(1594)約四百有余年前、九鬼嘉隆が築城の際、石垣が何度も崩れたので、元城山に斎祀されていた大山祇神を現在地に移したら石垣も崩れず鳥羽城(二色城)が出来上がったとの申し伝えがあるが、古文書、記録等はおよそ慶長年間(1600年頃)の神社の大火の際、消失されたものといわれている。明治6年3月に村社に定められ、同39年12月神饌、幣帛、供進指定社となる。

特殊神事

獅子と天狗の舞

 祭礼日は、旧暦の正月6日に行われていたが、現在は4月10日に近い土・日曜日にとなっている。大山祇神社の氏子は、藤之郷・中之郷・錦町・横町の四町で、祭礼を請け負うのもこの四町の輪番制で四年に一度の年番となる。藤之郷・中之郷・錦町が「獅子と天狗の舞」の奉納を、錦町は神輿の練り込みを神祭としている。祭りの起源は正確に知る資料はないが、正徳3年(1713)の『志陽略誌』に記述があるので、それ以前から行われていたことが分かっている。永禄12年(1569) に九鬼嘉隆が鳥羽に入府し、鳥羽城築城の際、その一郭に海運の守り神である大三島の大山祇神社を勧請したと伝えられている。古くからの氏神様と合祀して「獅子と天狗の舞」を奉納したのが、この祭の始まりとされている。 「獅子と天狗の舞」は、各町ごとに伝統があり、舞形も様々である。獅子の舞形では、雄・雌二匹の獅子を六人の獅子連が舞い三町で獅子の一生を演じる。 藤之郷が青年期を、中之郷が壮年期を、横町が熟年期を舞う。この獅子舞に供する獅子頭は、神社の獅子庫より各町が借り受けて祭礼に向けて稽古する。天狗の舞も三町とも異なり、「阿」と「吽」の天狗面を被った六匹の天狗を、天狗連が舞う。舞形は、「鶴の舞」が藤之郷、「亀の舞」が中之郷、「海老の舞」が錦町となり、その絵柄が天狗の衣装の背に錦糸で刺繍されている。天狗面と衣装は各町でそれぞれ永代保管されており、藤之郷が保管している天狗面には文化15年(1818)世古氏・青木氏の銘が刻まれている。藤之郷の例にすると、獅子と天狗が同時に舞う演目は「地舞」と「賛義理舞(散切米)」の二演目がある。「地舞」を舞う前に天狗独自の「ねり」が舞われ、「地舞」と「賛義理舞」の合間に天狗の踊り「手踊り」「花笠」「ちらし」が演じられる。「手踊り」の題目は(くずの葉・足柄山・雁音・猩々舞) 四曲、「花笠」には(江もん・春景色・大宮人) 三曲、「ちらし」にも三曲がある。天狗の踊りと踊りの合間には笛・太鼓・鼓による「あいもの」が奏上される。祭の組織としては、地下(町内会) ・中老(五三会) ・獅子連・天狗連・地謡連・乱舞連の六連の団体を組織して稽古や準備をする。例大祭の前日(宵宮)は、「大馴らし」として町内を一巡して奉納舞の総合予行演習を行う。祭礼当日は払暁に獅子連が叩く潔斎太鼓が響き渡ると潔斎風呂に入って身を清めて正装し、祭行列を組んで神社に向かう。神社に着くと早々に天狗連の「段ねり」から始まり、獅子連の「神前舞」「三十三切米」と続いて神事の奉納が終わる。その後、例大祭の傍ら、境内にて中之郷・錦町・横町への披露舞いを行うと、旧鳥羽九町へ行列で練り込む。賀多神社では、岩崎・本町・大里への披露舞を行い、中之郷公園ではライバル関係にある中之郷への披露舞いを行う。地元藤之郷に戻ると「千秋楽」の地元披露の舞が行われ、祭が最高潮になる。舞い納めの後は、駆け足で獅子頭を神社に納めに行く。

神社
コード
4221002
鎮座地 鳥羽市鳥羽 3-4-15
御祭神 大山祇神 草野姫命 猿田彦命
祭祀 例大祭 4月11日
アクセス 近鉄鳥羽駅から徒歩十分
WEB
サイト
https://www.facebook.com/ohyamazumi