髙山神社   – こうざんじんじゃ –

由 緒

従来、津藩主藤堂家において藩祖藤堂和泉守高虎朝臣の霊を津城内に奉斎し、藩士領民共に崇敬の誠を尽くしていた。大政維新後、神社創建の議起り、明治9年9月13日に其筋の允許を得、神社創建となった。明治10年8月 津市大字下部田(現在の津偕楽公園=以前は藤堂藩山荘内の両社八幡社境内)に神祠を建立。明治10年9月5日 「遷宮鎮座」の典を執行、公の謚号により高山の2字をとって、社号を「高山神社」とする。明治12年7月4日 県社に列せられ明治34年12月25日 藤堂家歴世の居城址に仮遷座。明治36年4月 せんざ「正遷宮式」を執行。明治36年10月4日 「鎮座式祝典」を執行。昭和5年10月4~6日 「高山公300年祭」を執行。昭和20年7月28日 津市大空襲により神社焼失昭和21年 社殿建立昭和44年12月津市都市計画復興事業の実施に伴い現在地へ社殿造営昭和45年4月5日 「遷座祭」斎行昭和55年10月5日 「高虎公350年祭」斎行当社主祭神の藤堂高虎公は慶長13年(1608)徳川家康の命により、伊予の今治から、伊勢国の一部・伊賀一円の領主となり初代津藩主となります。「城」を中心としたまちづくりに努め、津のまちを整備し津市発展の礎を築きました。弘治2年(1556)近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県甲良町在士)の郷士の二男として生まれ、15歳の時浅井長政に仕え、姉川の戦いで初陣し、その後幾度か転戦しましたが、羽柴秀長に仕え、多くの合戦で戦功をあげ出世をしていき紀伊国粉川で1万石の小大名となりました。秀長の死後は豊臣秀吉の直臣として2度朝鮮出兵し水軍の将として勇名を馳せ海軍総督となりました。秀吉の死後は徳川家康に仕え関ヶ原の合戦、大阪冬・夏の陣において数々の戦功をあげました。また、宇和島、今治をはじめ和歌山、膳所、丹波篠山、伏見、大阪、江戸城など多くの城の築城や修城を手がけ築城の名手としても主君からの信頼を得ていきました。家康側近として32万3950石の大大名となり、徳川幕府を支えていきます。以後津藩は改易なく明治維新まで続きます。寛永7年(1630)江戸藩邸にて75才の高齢をもって輝かしい生涯をおさめました。
神社
コード
4214004
鎮座地 三重県津市丸之内 27-16
電話番号 059-225-8558
御祭神 《主》藤堂高虎霊《配》品陀別命、大雀命、大国主神、八重事代主神、 大山祇命、木花佐久夜毘賣命、 建速須佐之男命、表筒之男命、 中筒之男命、 底筒之男命、大物主命
祭祀 例祭 10月5日
春祭 4月5日