波氐神社(星合町)   – はてじんじゃ –

由 緒

当社の創祀年代については不詳 とされるが、延喜式式内社と比定される古社であり、 七夕に御縁深い当社は『星合神社』、『星の社』、『星合の社』とも親称される。『勢陽五鈴遺響』天保4(1833)年、によると『星の社』と称えられ、江戸時代には既に七夕に縁のある神社として崇敬厚かったことが窺える。 神宮文庫所蔵「伊勢国諸神社記」収録『伊勢國市志郡星合邑星合神社記』によれば、当社の七夕まつりのことをかつては『伊勢星合祭』と称していたとされる。

主祭神の天棚機姫命は、出口延経(伊勢の神宮外宮の権禰宜)の「神名帳考証」には多奈波太姫、『神鳳抄』には波氐御厨多奈波太姫、 『伊勢國市志郡星合邑星合神社記』 には多那波太姫神(天衣織姫、天上の織姫星)と記されている。『背書国誌』には「波氐神社織姫は、星合の神と号す。この辺を呉服郷と云星合村」と記され、『三国地誌』によれば、牽牛祠と織女祠があり、星合の浜でこの二星が交会する」という言い伝えが記されている。 ほか、群馬県 黒熊「三木貞樹家文書」文政2(1815)年の道中 日記の中に『星合村と申処七夕の 社有り、拝礼いたし、それより 六軒に出て、この道廿丁ばかり と承り候処、殊の外遠し』と記され、旧記によれば〝須氐神社は星合村里人星合大明神と云(式内神社宮地紀)〟〝須氐神社は呉服の里星合村に座す(式社参詣紀)〟〝須氐神社星合村に座す(式社案内記〔久貞〕)〟とある。

かつて須氐神社と称されていた当社は、明治38年8月13日に訂正の許可を得て、旧により現在の波氐神社と改称。明治41年2月5日には鵲村大字笠松(現:松阪市笠松町)の村社八雲神社、大字星合(現:松阪市星合町)の村社菅原神社、大字小舟江(現:松阪市小船江町)の村社八雲神社、大字五主(現:松阪市五主町)の村社綿積神社を合祀。※現在は各神社、元の鎮座地に分祀奉還されている。

特殊神事

七夕祭

波氐神社の七夕祭については神宮文庫所蔵「伊勢国諸神社記」収録『伊勢國市志郡星合邑星合神社記』 によると履中天皇の御代(およそ420~430年代)、星合の杜にて神祭りを行う者に「私は多那波太姫神、またの名は天衣織姫、天上の織女星です。遥か昔から一年に一度、7月7日の夜に星合の杜で夫と逢い、私の持つ五色糸と夫の持つ金鈴を結び、糸の両端をとって相伏し、子より丑の刻に共に男女の良縁、夫婦の円満を計り、丑より寅の刻に至っては子授けの取決めを行ってきました。これからは私達の神籬を祀り祭祀を行いなさい、さすれば子々孫々栄えることを約束します」という御神託により近隣地域の人々が話し合い、創建されたという故実から、毎年8月7日、当社の境内には松阪地域の人々個々の願いが書かれた短冊をつるした笹飾りで装飾され、盛大に祈願祭が斎行される。

神社
コード
4205002
鎮座地 松阪市星合町 507
御祭神 《主》天棚機姫命、《合》天兒屋根命、天忍穂耳命、木花開耶姫命、誉田別命