家城神社   – いえきじんじゃ –

由 緒

往昔、家城村の住人家城与左衛門の息子で円乗坊という高僧あり珍徳上人という。上人、諸国の神社を参拝し、加賀の国一の宮、白山権現に詣で大麻を受けて故郷の老母の顔を見んとて帰国、家城の近く雲出川瀬戸ヶ淵の岸で路傍の石に笈を下ろし暫し疲れを癒していた時、笈の中から七羽の白鳥が飛び立ち、小倭、竹原、飯福田、山田野、八対野、川口、北家城の七ヶ所に羽を休めたという。後、この七ヶ所に珍徳上人が祠を建て、白山比咩神社加賀白山の御分霊として奉斎したのが始まりと伝えられている。
明治42年11月2日、南家城、北家城、藤、二俣、真見地区内の大小の祠六社を、現在地の諏訪神社の社地に合祀、家城神社と単称したものである。地元では「すわさん」の愛称で親しまれている。
創建年については詳らかでないが、北家城にあった白山比咩神社の神社扉に、嘉元二二年(1306)丙午二月一日の墨書銘があり、この地における白山信仰が鎌倉時代以前から既に存していたと考えられる。

【白鷺伝説】

往昔、家城村の住人家城与左衛門の息子で円乗坊という高僧あり珍徳上人という。天文22年(1553)正月24日の夜、「明年2月加賀白山は火災で焼失してしまうから、それまでに天照大神のいます地に移りたい。」という夢のお告げを感じ、北斗七星が南方の空に点々と輝くのを見た。円乗坊は夢告にこたえてすぐにも加賀へ行きたいと思ったが、北陸は雪のさなかであるので雪が少なくなるのを待って、3月上旬、白山に詣でて七日七夜の祈願をこめた。七日目の夜、神様のお告げがあり、翌朝みると笈の中に御幣が7本立っていた。これこそ霊夢の験であると感じて、神前にぬかずいて後、笈を背負って帰国の途についた。故郷へ立ち寄って年老いた母にあうために家城の近く雲出川の瀬戸ケ淵の岸で路傍の石に笈をおろし暫し疲れをいやしていた時、にわかに笈が前後にゆれ動いて中から七羽の白鷺が飛び立った。白鷺は神の使者である。それが七羽というのは、さきに霊夢で見た南方に輝く北斗七星と同じ意味であると感じて、その七羽の白鷺がおり立ったところへ白山神社を建てようと念願した。白鷺がおりた所は小倭の風神の森、井生川口の境、ハ対野、山田野、家城、竹原、飯福田の七ケ所で、この地に同時に社殿の建立にとりかかった。そして、加賀白山の御分霊を奉斎したと伝えられている。
※この白鷺伝説は「白山妙理大権現本記」による伝説をもとに作成。「山雄田興廃記」による説、「勢陽雑記」による説もある。


【白鷺三様伝説】

白鷺伝説を基にした”七白山めぐり”(津市教育委員会後援)の一社である。


【霊泉「諏訪のこぶ湯」】

神社の裏手雲出川に面したところから湧出している「諏訪のこぶ湯」といわれる冷泉がある。
郷土史家や古老たちの調査によっても明らかでないが、史家の説によれば古事記に崇徳天皇(第10代)及び仁徳天皇(第16代)の御代の記にある。なお、日本書紀によれば、雄略天皇(第21代)470年の記に廬城川(いほぎがわ、現在の雲出川)の宮の裏手に霊泉が出ていることが記されており、この湯を守る湯人の長(ゆえのおさ)にまつわる物語が伝えられている。
「こぶ」が落ちるとの効用から「こぶ湯」と称するとの説もあるが、産婦の乳不足に霊験あらたかで万病に効用があると言い伝えられ、この湯を訪ねてくる人が今も後を絶たない。

《御神徳》良縁成就・学業成就・五穀豊穣・商売繁盛
《その他》神社扉は津市指定文化財

神社
コード
4205036
鎮座地 津市白山町南家城 414
御祭神 《主》菊理比咩命《合》建御名方命、天照皇大神、須佐之男命、木花之開耶姫命、宇迦之御魂命、応神天皇、速玉男命、大物主命、大己貴命、少彦名命、天忍穂耳命、埴安姫命、火産霊命
祭祀 歳旦祭  1月1日
祈年祭  4月10日
戦没者慰霊祭 4月25日
宮籠   9月1日
例大祭  10月10日
新嘗祭  12月1日
大祓   12月31日
※歳旦祭・大祓を除き、それぞれ直前の日曜日に斎行