伊賀留我神社(羽津戊)   – いかるがじんじゃ –

由 緒

垂仁天皇18年、皇女倭姫命が天照大神の大宮処を求めて桑名野代宮より鈴鹿忍山宮へ御遷幸の途次、当地に御駐輿された跡へ額田部の子孫天津彦根命の孫、意富伊我都命の遠孫が天照大御神荒魂を奉斎したと伝える。また、大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子との間に起った皇位継承の争い、壬申の乱(672年)の時、大海人皇子は白鳳元年に当地、朝明郡迹太川より神宮を御遥拝戦勝祈願された故事により、約230年後、天武天皇の事跡を偲んで額突山の麓に天武天皇社が創建され、山頂には「天武天皇神宮御遥拝所」と刻まれた石碑が残っている。『神鳳鈔』には「鵤ノ御厨三丁」とあり神宮と関わりの深かったことが知られる。天延二年(974年)、叡山の僧良源が船木良見に聘され下向、鵤村に安居し後 帰山するが、弟子の覚鎮はこの地に留まり斑鳩山大膳寺を開創し、当神社の別当寺となったと伝える。五世空源の代に、信長の兵災に罹り、伽藍、神社の古文書等を悉く焼失。明治40年、天武天皇社(天武天皇)、ほか五社を合祀した。
神社
コード
4215013
鎮座地 四日市市大字羽津戊 523
御祭神 《主》天照大御神荒魂、《合》大年神、大山祇神、天武天皇、不詳一座
祭祀 例祭 10月16日