鬼太神社 – きたじんじゃ –



由 緒
当社の創祀及び中世迄の由緒については詳かにし難い。平安時代には、『延喜式』神名帳訓みの「キタ」については「オニタ」「キタ」「シコタ」等多くの訓みがあるが、神社名の「キタ」と訓まれたのは近世に入ってからである。しかし、鎮座地名の「木田」については、「鬼田」は「キタ」で「北」と訓み「鬼田」「鬼太」はこれを表現したものとの説もあり村名のキタと社名のキタとの類似を指摘している。ギタについて、西川順土氏は『内宮文殿本神鳳鈔』をひいて、「これは鈴鹿川を中心にした北と南の御厨という、「キ夕」を生かした表現であろう」と述べている。近匝には「若宮八幡」とか「今八幡」と称せられており、『神戸藩明細帳』は「木田村式内鬼田神社」と記している。木田地域の氏神社として崇敬された。明治41年に若宮八幡社 稲荷社 山神社の3社を合祀し、同43年(1910)には河田村の村社 川神社に合祀された。然し合祀は名目のみで、実際は川神社の飛地境内社として存在した。昭和27年正式に分祀されて現在に至っている。宝物 場立釜1口 大絵馬1枚 日清戦争戦勝記念燈籠20基 常夜燈1対特殊神事
湯の花神事
神社総代、町総代、厄年のものが中心となり秋の例祭と祈年祭において執り行う。早朝よりそれらの担当になったものは神社の拝殿近くに大釜を設置し、四方を竹で囲み注連縄をはり湯を沸かす。(以前は鈴鹿川で早朝より禊をし鈴鹿川の湧き水を汲んで神事の水としていた。)祭主が大釜の前で大祓を奏上し終わると、担当のものが、秋の例祭では笹を祈年祭では南天の枝を釜に入れ、湯に浸してそれを参拝者に振り掛ける。大釜の水の沸き立つ様子を見て、本年(祈年祭)翌年(秋の例祭)の農作物の収穫の吉凶を占うのである。祭主は桶に水を汲み取り、それを神前に供え神事は終了する。
| 神社 コード |
4219069 |
|---|---|
| 鎮座地 | 鈴鹿市木田町2365 |
| 御祭神 | 《主》大山津見神、《配》大雀命、豊宇気毘売神 |
| 祭祀 | 例祭 10月 祈年祭 2月 |
川神社 »
