三宅神社(国府町)   – みやけじんじゃ –

由 緒

社伝によれば延喜式内社、伊勢国鈴鹿郡 三宅神社と伝へ、又官幣を当地に納めし故に惣社と祢したと云われている。江戸時代には[惣社明神]と通称され、『亀城園記』に「惣社明神 社頭附(以下略ごと記され『九九五集』『亀府墜志』等も同様に「惣社明神」とあるように、古来「惣社」として崇敬されていた.近世に入ると、亀山藩は、城主歴代供料として、田一反を寄進する等その崇敬は篤く、又元和元年(1615)以降江戸時代を通じ、社殿の造営もたびたび行われている。

特殊神事

獅子舞・おいたて神事 毎年2月20日に近い日曜日

 起源については定かでないが、現存の3頭のうち最も古いものは寛延3年と記され、その外ほとんど原型をとどめない獅子頭があり、少なくとも数百年以上の歴史があるものと思われる。

 神事に奉仕する獅子役は、本社所在地の上区青年団が維持運営に携わってきたが、昭和46年同団の解散に伴い永年の伝統も消滅の危機に際した。しかし、心ある人々により同年獅子神楽保存会が結成され、総代会長を始め関係者の懸命の努力が実を結び、残された唯一の伝統神事を維持すべく地域挙げて保存伝承に取 り組んでいる。

 平年は「おこしの舞」「扇の舞」「緋の舞」などで構成されているが、舞年と称する3年毎には、子供らが演ずる子獅子の舞・おいたて神事と、花の舞が披露される。特に、「おいたて」が最高潮に達した頃に、野菜と棕櫚で模した陰陽物を持ち見物人の中へ飛び込む様は、昭和50年発刊の‘鈴鹿市の歴史’の中にも触れられている。

神社
コード
4219031
鎮座地 鈴鹿市国府町 1609
御祭神 《主》国常立之命、大穴牟遅命、《配》泉事解男命、綿津見命、誉田別命、軻遇突知命、速玉男命、奥津彦命、奥津比売命、神日本磐余彦命、罔象女神、菅原道真《合》猿田彦命、若狭比売命、伊弉冉命、天照皇大神、木花咲久耶姫命、伊邪那岐命、須佐之男命、市杵島姫命、大山祇命、上筒男命、中筒男命、底筒男命