阿自賀神社(須賀)   – あじかじんじゃ –

由 緒

社伝によれば建暦2年(1212) 3月3日の「可停止京畿諸国建立諸社末社」宣旨以前の創祀とされている。須賀の地は室町時代(康暦元年〔1379〕)足利義満券伏(応永31年〔1424〕)足利義持券状)に東大寺八幡宮に寄進されており、この時点で「八幡宮」を勧請し、八幡宮と称したとも云われている。徳川家康の家臣、一柳直盛が神戸五万石の城主となり、大坂出陣の砌当社に刀矢を奉納し「弓矢八幡宮」と呼ばれたと伝へるように、八幡神として代々の領主からも厚い崇敬をうけている。現存する棟札類によれば「神戸河曲郡須賀八幡宮」(慶長12年)「阿自賀神社八幡宮」(文政2年)「阿自賀神社須賀八幡宮」(安政6年)等、須賀八幡宮或いは阿自賀神社等と称されていたようである。明治以降旧名称に復し「阿自賀神社」と称した。明治2年(1869)明治天皇御東幸の砌、御名代として福羽美静が代拝奉幣。明治39年には式内社に準ずべき社として神饌幣帛料供進神社の指定をうけた。同40年村内の菅原社他四社を合祀し、現在に至っている。宝物等 和鏡 1面(藤原告次作在銘)棟札6枚(慶長12年《1607》・寛文2年《1662》・文政2年《1819》・安政6年《1859》・安政7年・文明3年《1471》)湯立釜1口 狛犬1対 扁額3面 刀剣1口(備州祐定) 燈籠1基(寛文6年《1666》在銘)常夜燈 1基 砲弾 1対(軍艦八雲)

特殊神事

御田植神事

2月に行われる御鍬祭は、阿自賀神社の拝殿前にて斎行される。
町総代、氏子総代を中心として、町(組)の役員と農家組合、代表 組長(役員)が参列する。
昔は、各家の子供が木で鍬を作り、神社へ集り行われた。
しかし、現在は、前日、農家組合の人たちが中心となり鍬を作る。
社前の四隅に竹をたてて、御田の斎場を設ける。
祭は町総代が音頭をとり、農家組合の人たちが、耕作の順序をひととおり行う。
総代が「今年も豊年疑いなし」のことばで、一連の行事を終える。
町総代、氏子総代を中心として、町(組)の役員と農家組合、代表 組長(役員)が参列する。
昔は、各家の子供が木で鍬を作り、神社へ集り行われた。
しかし、現在は、前日、農家組合の人たちが中心となり鍬を作る。
社前の四隅に竹をたてて、御田の斎場を設ける。
祭は町総代が音頭をとり、農家組合の人たちが、耕作の順序をひととおり行う。
総代が「今年も豊年疑いなし」のことばで、一連の行事を終える 7月最終日曜日(合祀紀念大祭:渡祭)

神社
コード
4219012
鎮座地 鈴鹿市須賀1-1-28
御祭神 《主》品陀和気命、《合》菅原神、弥都波能売神、建速須佐之男命、大山津見神
祭祀 10月第2土曜日
2月 祈年祭
7月 天王祭
11月 新嘗祭