神舘飯野髙市本多神社   – こうたついいのたかいちほんだじんじゃ –

由 緒

社は『鈴鹿市史』によれば、神館、飯野、高市の3社を合祀し、神館飯野高市神社と称し、俗に神戸総社と呼称している。社伝によると、神館神社は垂仁天皇の御宇、倭姫命が伊勢に向われた折に「立置せ給ふ御宮所」で、その時点の創立であると伝へ、飯野神社はもと西条村から弘治3年(1557)ここに合祀されたもので、創祀は不詳、高市神社は十日市町東裏、三日市、あるいは大和高市郡より勧請したとも云われており、創祀は天武天皇元年(673)としており、近世の地誌類は、当社を神館大明神又は神館明神と呼んでいる。明治2年(1869)明治天皇御東幸の砌、奉幣代拝にあずかっている。明治41年、村内の蛭子神社以下5社を合祀し、「神館飯野高市神社」と単称し、別に「神戸総社」と謂うに至った。昭和に入り、神戸域主居館近くに鎮座し、城主以下の崇敬が篤かった縁由により、本多神社も合祀された。

特殊神事

4219005神舘飯野髙市本多4石取祭

4219005神舘飯野髙市本多5石取祭

 三重県鈴鹿市神戸町は,神代に倭姫命の巡幸地として神戸が誕生し(神館神明社),伊勢神宮の神領地として栄えました。その後も戦国太平期には,神戸城の城下町として,また,伊勢参宮街道宿場町として賑わいを誇りました。現在も古い町並みを残し、見附跡(三重県指定文化財)や常夜灯、道標なども当時のまま残されています。

 『神戸の石取祭』の歴史は明治30年頃、常盤町・北萱町・南萱町(橋北3町)が石取祭発祥の地である桑名より山車を譲り受け、それまで行われていた夏祭とあわせ山車を曳き石取祭へと変遷したものと伝えられています。明治から大正まで常盤町、北萱町、南萱町の3町で祭が行われ、その後、昭和に入ると地子町、続いて東石橋町(現:六郷連)、東町が参加、平成に入って北十日市町、北新町が新たに参加し山車八台を擁する祭へと発展しました。それぞれ町の誂半纏を背負い、勇猛で威勢のいい祭衆が掛声とともに鉦と太鼓を打ち鳴らし、神戸町内を山車が巡行する様子は、神戸の夏の風物詩です。
神戸宗社(神舘飯野髙市本多神社)へ鉦鼓を奉納する「渡祭」は人々の熱気と興奮が最高潮となり,毎年市内外より多くの参拝客で賑わいます。

祭禮日:7月最終金曜日(宵宮:叩き出し)
    7月最終土曜日(中宮:総叩き)
    7月最終日曜日(合祀紀念大祭:渡祭)

神社
コード
4219005
鎮座地 鈴鹿市神戸 2-18-28
御祭神 《主》天照大御神、《配》豊宇気毘売神、高御産巣日神、蛭子神、事代主神、大国主神、猿田彦神、宇加之御魂神、大宮能売神、菅原道真、速玉男神、伊邪那美神、予母都事解男神、大山咋神、市寸島比売神、大年神、建速須佐之男神、品陀和気神、天之児屋根命、木花佐久夜比売神、大山津見神、本多忠統
祭祀 10月第2日曜日