椿大神社   – つばきおおかみやしろ –

由 緒

鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は、往古時代、神社の背後にそそり立つ高山入道ケ嶽、短山椿ケ嶽を天然のやしろとして、(神代の神跡いわくら現存)高山生活を営まれたクニツカミ猿田彦大神を主神とし、相殿に皇孫瓊々杵尊、栲幡千々姫命を祀り、配祀に天之鈿女命・木花咲耶姫命を祀る。神話に伝わる天孫瓊々杵尊降臨の際、猿田彦大神、北伊勢道別(ちわき)の里なる地祗本陣を旅立ち給ひて天の八衢に「道別の大神」として出迎え、風ぼう雄大、超絶した神威を以って恙なく天孫を高千穂の峯に御先導申し上げた事で肇国の礎を成した大神として、後に人皇第11代垂仁天皇の27年秋(西暦紀元前3年)倭姫命の御神託により、磯津(鈴鹿川)の川上、高山短山の麓、土公神陵の前方御船磐座辺りに、「道別大神の社」として社殿を造営し奉斎された日本最古の神社であります。仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ現在に及び、昭和の始め内務省神社局の調査により、全国2千余社の猿田彦大神をまつる本宮であることが明かとなり、「地祗猿田彦大本宮」と尊称されております。

特殊神事

粥占神事・御鍬神事・獅子神御祈祷神事

「粥占神事(粥だめし)」

 祈年祭を斎行する2月21日の早朝、斎館において宮司以下祭員により行われる。太さ1,5センチ、長さ約10センチの3本の竹筒に早稲わせ・1本、中稲なかて・2本・、晩稲おくて・3本の筋を付けて印となし、これらを米と小豆を入れた大きな釜に入れて炊く。暫くすると、粥ができ上がり、そのまま神前にお供えし、次に竹筒を取り出して割り、それぞれにどれだけ米や小豆が入っているのかを数えて、その年の吉凶を占う。

 例えば、早稲と印した竹筒に、米5粒・小豆5粒、中稲と印した竹筒に、米10粒・小豆30粒、晩稲に米100粒・小豆1粒だったとすれば、稲作は晩稲を作れ、畑作は中稲で作れというように解釈されるのである。

 また、この時の小豆粥は、祭典終了後、氏子の各区総代を通じて、氏子区域全戸にお札とカキモチと一緒に配られている。(正月のお供えの餅で作ったカキモチ)


「御鍬神事(みくわしんじ)」

4219064 椿−2御鍬神事

 稲が1年をかけて稔ることを「年」としたのであり、すなわち、祈年祭とは「年祈(稔乞い)」であり、稲の稔はもとより、五穀の豊穣、天候の安定、天下の平安を祈る祭りで、新穀の収穫感謝の新嘗祭とともに、最も重要なお祭りとされている。

 2月21日の祈年祭では、祝詞奏上ののち、氏子神役によって、玉苗になぞらえた松葉や木鍬を用いて、田打ち、田起こし、田植えの所作を擬し、豊作を予祝する特殊神事「御鍬神事」が行われ、五穀豊穣、皇室・国家の安泰、氏子、講社員、崇敬者の安寧が祈念される。


「獅子神御祈祷神事(しししんごきとうしんじ)」

 当神社において、特に古来より由緒ある神事として、獅子舞神事が伝わっている。正式には「獅子神御祈祷神事」と称して、三重県の無形民俗文化財に指定されている。丑・辰・未・戌歳のみの3年に1度行われ、古くは2月1日より4月末日までの88日間の祈祷神事として、氏子区域はもとより、外氏子地区(旧鈴鹿・河芸・三重郡)をはじめ、北伊勢・尾張三河の各地を巡舞している。長い年月の間には多少の変遷もあるものの、現在では、2月11日の舞初式に始まり、4月12日(春季大祭)の舞納式までの間、地元をはじめ近郷近在にて祈祷神事を巡舞している。なお、毎年2月21日の厄除大祭においては、特例により、全7段中のうち、天・地・人・四方八方を祓い清める初段の舞のみ執り行われている。

 この「獅子神御祈祷神事」は、猿田彦大神の神孫で修験神道の元祖・行満神主が創始せられたと伝えられている。聖武天皇(約1300年前)が当神社に御親拝された際、後の右大臣・吉備真備に命じ、椿の神木で猿田彦大神の神面と獅子頭を彫刻して奉納し、「天下泰安」「四海静穏」「風雨順時」「百穀潤屋」の勅願を立てられました。爾来、四方八方の一切を祓い清める神事として、伊勢国を始め諸国を巡舞している。

神社
コード
4219064
鎮座地 鈴鹿市山本町 1871
電話番号 059-371-1515
御祭神 《主》猿田彦大神、《相》瓊々杵尊、栲幡千々姫命《配》天之鈿女命、木花咲耶姫命《前座》行満大明神
祭祀 春季大祭  4月11.12日
秋季例大祭 10月10、11、12日
獅子神御祈祷神事(丑・辰・未・戌の年)
WEB
サイト
https://tsubaki.or.jp/