大西神社   – おおにしじんじゃ –

由 緒

勧請年月不詳。『文政7年(1824)村明細帳』に、「氏神・諏訪大明神・八幡宮・山神三・牛頭天王」とあり、『明治5年(1872)の同帳』には、「大西神社・八幡宮・谷坂神社・山神社三・紅志能社・走井社・社宮神・市神社」とある。『員弁雑誌』に、「諏訪大明神 本社南向、拝殿南向、石の鳥居在、石燈籠六基銘文分り難し、此の内三基は本郷羽場常光寄附也、社地に山神の小社あり、当社は一村の産土神にして祭は9月11日也、『阿下喜根元記』曰、当村片山大和守信保と云ふ人、千葉の末孫にて田切拾三ケ村を領す、此人は元信州諏訪の氏人なり、依て川原・向平・阿下喜共に諏訪を勧請して氏神となす云々と。八幡宮村の東に在り。佐軍神社 村内にある小祠也、石像なり、『桑名玉矛縁起』曰、佐軍神一名社護神・田心姫という、又、大和春日外院小社八座の内佐郡祠と云う在、『大和名所図会一巻』曰、田心姫を奉祭すと云々、『亘琢斎尚賢神社啓蒙』春日の部書註に曰、佐軍神は天夜刃神なりと云々。山神社 字鳥神にあり小祠也。鳥州大明神・山神社 二社同所字小山に在り。山神社 字牛が額に在り、土人牛頭天王と呼ぶ、小祠也。」とある。古くは諏訪大明神と呼び尊崇したが、天保7年(1836)8月14日大西神社と社名を改めた。町の東方の八幡洞という所には、片山城主の鬼門除けとして八幡宮が建立され、これが後の八幡祭りの発祥地となった。

特殊神事

八幡祭

 あばれ神輿と知られる八幡祭は、元来阿下喜の市街の東北に所在し、中世、阿下喜城の守護神として祀られていた八幡社の神事で、「阿下喜住民の平安と無病息災」を願って、氏子の町々を御輿渡御お練を行なう祭事である。明治40年、政府の指令によって、八幡社は市街の西に鎮座する大西神社に合祀され、それ以来、大西神社の神事として現在に至っている。

 祭事日は元来7月15日で、前日にこども御輿が執り行なわれていたが、近年諸般の理由で7月の第4日曜日とその前日に行なわれる。祭事は神職、氏子総代が中心となり、自治会が準備、執行する。

 御輿渡御には①旗 ②榊 ③鉦・太鼓 ④高張提灯 ⑤迎幣 ⑥御輿 ⑦高張提灯 ⑧鉦・太鼓の順で、その他御輿の前後に神主、氏子総代、自治会長が同行する。
昼の部は約2時間半、夜の部は約3時間半 町各地を巡る。

  • 旗は青笹の付いた約3メートルの女竹に五色を取付ける。
  • 榊は約3メートルの大きさのもの。
  • 迎幣は、長さ七尺程の太い真竹を使い、御幣を付ける。
  • 御輿は榊、御幣等で飾り付けて社頭神前で渡御安全祈願祭を行ない、宮司が神代を御輿に封じて、渡御行事が始まる。参与・参与の掛声勇ましく町中を練り歩く。

鉦・太鼓のたたき方
ドーンドン ドド ドンドンドドドンドーンドーン
( ◎  ○ ●● ○ ○ ●●○ ◎ ◎ ソーライ) これを繰り返す。

 
神社
コード
4202004
鎮座地 いなべ市北勢町阿下喜276
御祭神 《主》建御名方神《合》下照姫命,誉田別命、火産霊神、須佐之男命、大山祇神、石神
祭祀 秋祭り 10月スポーツの日前日
八幡祭 7月第4土日