猪名部神社(大安町)   – いなべじんじゃ –

由 緒

『宝永8年(1711)の村差出帳』には、「平塚村 神祠は氏神牛頭天王、明神、八幡、山神」「高柳村 神祠は氏神牛頭天王、神明、山神二社」とある。『文政10年(1827)の郷村案内帳』には「石榑下村 鎮守に牛頭天王、山神」とある。『員弁雑誌』には、「高柳村 牛頭大王社 本社東向本座牛頭天王、南小祠八幡宮相殿、境内に薬師堂在、医王の額を懸ぐ、鳥居村の内に在、例祭9月15日、村の産土神也。『伊勢式内躰考』曰、猪名部神社祭神天津赤星命、是当社の事歟と。神明宮 村の東南に在、社南向、宮林の樹木大樹にしていと神寂びたり。山神 同所に在、東向無祠。天白大明神社 村の内北に在、 社頭東向。平塚村 牛頭天王 村の産土神、田の中に在、例祭9月9日。長屋明神 八幡宮相殿、南向。八幡宮 村の西南に在。稲荷大明神社 小草の内南に在伝へ云ふ、開発人南川治左衛門勧請也と」とある。『員弁郡郷土資料』には、「猪名部神社字高柳平塚飛地にあり、祭神は素盞嗚尊及 伊香我色男命、譽田別命とす、素盞鳴尊は平塚八坂神社の祭神にして、他の二神は高柳の氏神なる猪名部神社の祭神なりしも、大正2年(1913)3月両神社の合祀となるに及び、猪名部神社の祭神とはなれり (中略)今此の合祀社の由緒を按ずるに左の如し。八坂神社 平塚字楮の地にありし無格社にして、創立年月詳ならず、往古平田御厨神明社と称へたりしが、応仁年間(1467~69)平塚の地に悪疫流行せしを以て、村民相謀りこれが除疫の為め、素盞鳴尊を迎へて茲に鎮座し奉り、八坂神社と称へこれを氏神となし其の祭典を行われしものなり。猪名部神社は 字高柳飛地の現神社敷地にありしものにして、天平年間(729~49)勧請せられ、村社と号せられて官帳に記載せられたりという、代々村民これを氏神となし祭典を挙げしものなり」とある。

特殊神事

水神祭

 400年ほど前に上溜(通称・西の池)は難工事の末、歳月をかけて出来上がった。それまでは沼地の田でしか米が作れなかったが、新しい場所に田を開墾する事が出来た。ところが200年ほど前、天明(1781から1788)の頃、日照り続きで一面が荒地となったため、もう一個所の大きい溜池(下溜)を上溜の下側に作った。この工事は1789年から10年余りの歳月をかけて寛政年間に完成したと言われている。これが現在両ヶ池と呼ばれる溜池の由来である。命の源である水を守り続けた先人の功績と水の神の恵みに感謝するのが水神祭である。諸般の事情で途絶えた時期があったものの、昭和58年に地区の夏の伝統行事として復活し、現在に守り継がれている。水神祭は毎年8月のお盆前後の土曜日に斎行されている。当日は、午前8時から両ヶ池の畔に奉られている水神社にて、土地改良区役員等参列による奉告祭を執り行ない、午後6時30分に水神祭保存会関係者等の参列により山車・行列者等の安全祈願を行なった後、太鼓・笛・鉦・提灯行列に守られて山車は地区から両ヶ池へ向けて出発する。両ヶ池(下溜)に到着後、水神社にて拝礼、花火打上げ、祭囃子等があり、9時20分頃に出発地へ戻り解散する。

神社
コード
4202068
鎮座地 いなべ市大安町高柳988
御祭神 《主》伊香我色男命《合》誉田別命、須佐之男命、天児屋根命、伊邪那美命、宇迦之御魂神、天白羽神、天照大御神、大山祇神、火産霊神
祭祀 秋祭 第2日曜日