大神社   – おおみわのやしろ –

由 緒

『天明4年(1784)御領内控記』に「片樋村 氏神三輪大明神、上野御前(牛頭天王)、住吉大明神、山神 内林山」とある。『員弁雑誌』には、「大神神社 本社拝殿東向、鳥居在、神宝に曲玉一、石剣二在、祭神大己貴命三輪大明神と称す、延喜式朝明郡二十四座の内第六に列記す。『式社名地考』曰、大神之神社片樋に在、祭神大己貴命と云々。『布留屋草紙』曰、片樋神名帳大神之神社祭神大己貴命云々。『勢陽雑記拾遺』曰、大神神社片樋村に在、膳の森是也云々と。『北勢古志』に曰、大神社式内此神社は片樋村に在て世に膳の森と唱ふる物なり、(中略)末社一座本社の前右に在、祭神八幡宮也。三輪大明神は当村の産土神にて例祭2月18日、8月18日の両度也、社家は日下平内太夫、日下源内太夫の両家也、一説に往古当社をば小栗栖明神と称し、一七ケ村の惣社なりと云ふ。里俗伝に日、往古当社は大社にして社領も多く神宮寺迄在りしが、永禄年間織田信長北勢乱入の砌、当社並に神宮寺を焼討し社領寺領を没収す、以来かたの如く廃したりと云う。上の御前社 同村に在、小祠也、遥かに隔りて鳥居在、額に三輪大明神とあり、例祭2月19日。住吉社 小祠也、神林の西北の方、藤多く花の頃見事也。牛頭天王社 字久保田に在小祠也、社頭南向、里俗烏の森と称す、林中藤多く花の頃美観也。山神社 村の内東に在、壬生地蔵とも称す。山神社 村の内東に在、祭神大山祗神、社頭北向。山神社 字山と云ふ所の内西南に在、林中石仏在」とある。『員弁郡郷土資料』に、「式内村社、大神社 大字片樋にありて祭神大國主神なり、摂社として膳森神社又云大三輪神社又云談合社、及び合祀神として津島社外四社を祀る。按ずるに当社鎮座の年代は詳ならずと雖も、神名帳に記載の神にして、『五鈴遺響』『北勢古志』『式内神社検録』に依るも又、当社に伝えられたる右剣、及別社上御膳社神殿中の石躰に徴し年代の上古に在るを認め得べし。当社は現今員弁郡に属すれども大神社は『延喜式神名帳』には朝明郡に属せり、『勢桑見聞略志』には寛永7年(1630)まで、『桑名領郷帳』朝明郡の中に、宇賀、石榑、片樋の村名あり、故に朝明郡の二十四社のうちに記載しあるも、慥に員弁郡なりしならん。該社を大神社又三輪大明神と称するは、大和国城上郡三輪に座す大物主大神を祀れる所以なり。(以下略)」とある。

特殊神事

まんぼ祭

 約230年前、徳川時代にまんぼを掘削し灌漑用水を造られた時の庄屋、先祖等の遺徳を偲び、毎年7月1日に近い日曜日に水利祈願祭を行なっている。

 片樋のまんぼは全国で、長さは5番目、規模は1番と言われている。

 道筋にまんぼ祭の旗を立て、大神社からまんぼ中央囗までを大榊を先頭に神職、献饌物、当時使用した掘削用具類(鎌、唐鍬、鋤、修羅、モッコ、カンデラ等)を持った区長、総代、役員等が行列を組み、途中まんぼの水を汲みこれを供え、まんぼ中央囗まで参進し、記念碑前にて祈願祭を行なう伝統行事として現在に至っている。

 又、神社の近くには庄屋墓地があり、時の庄屋2名の立派な墓が建てられており、当日は多くの住民が墓参りをしている。


どんど祭

 毎年1月5日前後の日を選び、子供会が全世帯より古い御神札、お守り、注連縄等を集めどんどを設営する。どんどは直径4メートル、高さ4メートル位の大きなもので、当地宮山の雑木、小シバの枯木を利用。

 神事は子供会主催で行なわれる。子供たちが元日に試筆「天福地福皆円満」したものを、どんど火にかざして、これを舞い上がらせる事により、学業、書道の上達を祈願し絵馬も奉納する。

 どんどの残り火で正月の鏡餅を焼き、参拝者で分合い1年の無病息災を祈願する。この神事は子供たちの伝統行事であり、当日は氏子全世帯が境内に集まり賑やかに行なわれる。

神社
コード
4202067
鎮座地 いなべ市大安町片樋1433
御祭神 《主》大物主大神《合》大山祇神、素盞嗚尊、底筒男命、中筒男命、上筒男命
祭祀 秋祭 10月第2日曜日