神明社(大泉新田)   – しんめいしゃ –

由 緒

『員弁雑誌』に「大泉新田・神明社大字溜堤下に在、神殿棟木御紋付也、当社笠田新田ニケ村立会にて祀る。当社は寛永11年(1634)大溜を築きしに度々堤切れしにより、正木嘉兵衛を伊勢の山田へ遣わされ、御立願あって堤出来しかば、辰九月当社御勧請あり、修復料として七段一三歩御寄付あり、右の内よりハ斗づつ年々御初穂梅谷太夫迄送るとぞ。神明社八幡宮二社相殿神殿南向、拝殿あり。牛頭天王社頭南向。山神社石の小祠也」とある。註 この『員弁雑誌』の記述は、笠田新田と立会にて祀る大溜堤下鎮座の神明社のことである。その分霊を祀ったのが当社である。『員弁郡郷土資料』には、「この神社は寛永13年(1636)正月11日大泉新田開発者正木嘉兵衛草切初の場所なるが故に、大泉新田・笠田新田立会の神明社分霊を、同17年(1640)9月16日此地に勧請せしものなり。神社内に摂社として八幡宮並に牛頭天王を祭る、前者は正木嘉兵衛が大阪より持来れる御神にして、同人の屋敷内に勧請し来れるも下作百姓の総氏神として寛永17年9月16日神明社境内に移り奉り、後者は大泉新田開発の際、日野及縄生村より来れる下作百姓の待来れる御神なるも開発功成りで百姓等帰郷せる際残し置けるを、天和3年(1683)9月16日彦右衛門なる者取立て神明社内に勧清せるなり。」とある。

特殊神事

弁天祭

 笠田新田、大泉新田の両字の田に水を引くため、大溜がこ1636年から1638年にかけて作られたが、1638年8月の大洪水により大溜の堤が壊れた。1639年に修復され、大溜の畔に天照皇大神をお祭りして神社を造営した。又、大溜に弁財天の像が現われ、「まつりなさい」と言う夢、お告げがあり、弁財天が祭られたと伝えられている。

 9月23日には弁財天祭礼が行なわられる。又、3年から5年に一度は本祭礼が行なわれるが、この時は大泉新田区から神明社までの約3キロメートルの道のりを、大榊を先頭に提灯、幟、神饌、獅子頭、山祭車、神官(乗馬)、流鏑馬、村方等の行列がある。又、この祭礼は大泉新田区が参拝後、約1キロメートル離れた鳥居にて、笠田新田区の人達と挨拶を交わし、笠田新田区が参拝する習わしがある。

 この祭礼は五穀豊穣に感謝及び洪水から大溜を護る祈願祭である。

神社
コード
4202028
鎮座地 いなべ市員弁町大泉新田543
御祭神 《主》天照大御神《合》誉田別命、須佐之男命、市寸島姫命、火産霊神