多度大社 – たどたいしゃ –

由 緒
養老山地の南端、古くから神々が鎮まる山として仰がれる多度山の麓に鎮座され、そのご創始は山中に遺された数多の祭祀遺構から神代の古に遡ることができる。その後、雄略天皇の御代に現在の地に社殿が造営された。 天平宝字7年(763)には、満願禅師によって神宮寺が創建され『多度神宮寺伽藍縁起并(たどじんぐうじがらんえんぎならびに)資財帳(しざいちょう)』にその壮麗さが記されている。 また、『続日本紀』、『延喜式神名帳』にも記載があり、歴代天皇の即位に際し勅使の差遣(さけん)を仰ぐ等、全国有数の大社として世に知られた。 然しながら、元亀2年(1571)織田信長の兵火に罹(かか)り、社殿を始め神宮寺などの建物と、歴代天皇より賜った御宝物の全てが焼き尽くされた。 江戸時代に入り、桑名藩主本多忠勝公等によって御社殿・恒例神事が順次復興され、それ以降歴代桑名藩主の産土神として篤く信仰された。 大正4年には國幣大社に昇格し、地元を始め全国津々浦々から厚い崇敬が寄せられ、境内には御本宮を中心に、別宮、摂社末社等十社を数え、年中50数度の恒例祭儀を斎行申し上げ、皇室の御安泰と氏子崇敬者の日々の平安を祈願申し上げている。 多度両宮のご神徳は産業開発をはじめ、天候を司る神としても仰がれている。別宮一目連神社にあっては、天の岩戸開きの神話で、刀、斧、鉄鐸を造られ、我が国の鍛冶職、鉄鋼業の総祖神として崇敬を集めている。特殊神事
上げ馬神事 5月4日・5日
その起源は南北朝の頃に始まり、武家豪族ならびに、氏子達が古式のまま神様に奉納する行事として行っていたが、織田信長の兵火にかかり、約30年余の問中断している。徳川家の時代となって本多忠勝公が桑名城主となり神社の再興をなし、三基の神輿を奉納し、第二代城主・本多忠政公により祭事が復興され、更に御厨(神饌を供える地区)組織による広大な祭事となって今日に至っている。
少年騎手が多度大社馬場にある2メートル余りの絶壁を人馬一体となって駆け上がる勇壮で躍動的な神事だが、その反面危険が伴うことから、昔ながらの精進潔斎が行われ、怪我のないように努めている。4月1日の神占いにより、騎手と定められた者は、家族共々別火の生活に入り、心身を清め、乗馬の練習をなし、祭1週間前ともなれば、尚一層清浄なる生活に入り大祭に奉仕する。
神事は御厨の七地区により、神児1名・騎手6名が選定される。6地区から祭馬各3頭、計18頭が準備されて祭事が行われる。祭事は『花馬』 (上げ馬をする順序は毎年交代するが、その年の最初に上げ馬を行う地区を言う)の指示により進められる。騎手の衣裳は4日には陣笠裃姿、5日には花笠武者姿にて乗馬する。
4日の行事は、乗り込み・馬場乗り・坂壊し・12頭の上げ馬・須賀での馬場乗りが行われる。その晩、騎手は神社に於いて宮籠りし、5日朝6時の例大祭に参列する。
5日は乗り込み、馬場乗りが所定の回数行われ、神児『七度半の迎え』を終了直後、6頭の上げ馬を行う。楠廻り、神輿渡御のあと須賀馬場にて流鏑馬の神事があり、神輿が本社に還御して終了する。
多度祭には古くから農作の時期や豊凶が占われてきたが、近年は景気の好不況など色々なことが占われている。又、勇壮な神事・祭馬にあやかり、商売繁盛・社運隆昌・学力向上等を願う人々も多い。
| 神社 コード |
4201001 |
|---|---|
| 鎮座地 | 桑名市多度町多度1681 |
| 電話番号 | 0594-48-2037 |
| 御祭神 | 《主》(本宮)天津彦根命、(別宮)天目一箇命 |
| 祭祀 | 例祭(上げ馬神事) 5月4日・5日 ちょうちん祭り 8月11日・12日 新嘗祭(鏑流馬祭り)11月23日 大祓式 6月30日・12月31日 |
| WEB サイト |
https://tadotaisya.or.jp |
