額田神社(増田)   – ぬかたじんじゃ –

由 緒

桑名郡額田村、増田村両村はもと一村で額田神社を鎮守として祭祀していたが、天明年間(1770年代)の大洪水により額田村宮山へ当宮を遷座した。その後、今の増田村は人家盛大になるに及び、現額田神社御祭神を文政八年(1825)8月15日に増田村に分祀奉遷したものである。旧社地は、増田村の中央に位置し、移遷後一時荒地竹林秣肥置場となったとの記録もあるが、「旧宮趾」の石碑があり、同地に増田村集会所(参集殿)を建設し保存している。昭和30年まで額田鎮座の額田神社の祈年祭、郷社祭、例祭、新嘗祭の四大祭には増田氏子が奉幣していた。

特殊神事

八天宮祭(火防神祭)2月第1日曜日(その年により変更あり)

 歴史は古いが起源は詳らかではない。古老の言に拠れば江戸時代桑名藩主の命により始まったとされる。

 当社は、明治以前より八天宮を火防の神・火産霊神としてお祀りしているが、古老の言い伝えでは、江戸初期の元和2年(1616)、桑名藩主本多忠政公の嫡男・本多忠刻に嫁した千姫(徳川2代将軍秀忠公の長女)が江戸からお輿入れした後、江戸の火防の風習である八天宮を祭神として祭るよう命じ、これが桑名城下から北勢地域に広まったとされる。

 祭りは毎年2月に、祈年祭(みくわ祭)・初午祭とともに行われるが、それ以外に毎月3日、村内の当番が神前に水桶(バケツ)を供えたのち、その水を持ち帰って各戸に水打ちして廻る神事が残っている。

 八天宮は、肥前国(佐賀県)嬉野に鎮座する八天狗社を鍋島藩が江戸へ勧請し、火伏の神として毎月1日、15日にお参りし夜警していたもので、火事の多い江戸にあっても当家に火事が少なく八天様の霊験あらたかと評判が立ち、これを受けて江戸の諸藩を通じて各地に八天狗社(八天宮社)がもたらされたとされる。現在でも桑名のほか、福島の松平家や長野、一橋家など全国で信仰されているようである。

 なお、八天宮とは八天狗のこととされ、愛宕山太郎坊、鞍馬山僧正坊、比良山次郎坊、彦山豊前坊、大山伯耆坊、白峰相模坊、飯(いい)縄(つな)三郎、大峰山前鬼坊を指し、各霊峰の山神(天狗)のことを言うとされる。肥前国の八天狗社(現在の八天神社)は、御神体山である背後の活火山・唐泉山を鎮めるため、火伏せの神として山上に祀られたと伝えられており、ここから八天狗社=八天宮社が火防の神とされたとされる。

神社
コード
4201077
鎮座地 桑名市大字増田 40
御祭神 《主》意冨伊我都命、《配》天照皇大御神、天津彦根命
祭祀 例祭  10月16日
郷社祭 4月28日