額田神社(額田)   – ぬかたじんじゃ –

由 緒

第19代允恭天皇の御代(440)の御代に御奉斎せらる。延喜式神名帳に「伊勢國桑名郡十五座内額田神社也」とある。明治14年10月28日、郷社に列せられる。御祭神の意冨伊我都命は天津彦根命の御孫神にして額田連の御祖神である。

特殊神事

どんど祭(爆竹祭・火防神祭)
1月成人の日の前後の休日(年により変更あり)

 歴史は古いが起源は詳らかではない。額田神社(増田)と同様、江戸時代桑名藩の頃からとされる。当社は、明治以前より火産霊社として火防の神・八天宮を祀り、毎年1月に村の火災予防を願って当祭りを行っている(八天宮の詳細については額田神社(増田)の特殊神事「八天宮祭(火防神祭)」の項参照)。祭礼の日に、年末から伐っておいた高木を芯柱に立て、周囲に神社の門松を崩した松・竹、薪、小枝、家庭の注連縄、古札、書初め等を積み上げて周囲を縄でくくり着火する。燃え盛った後に、氏子が持ち寄った鏡餅等を燠(おき)焼いて皆で食する。燃えた木の枝は総代が切り分けて氏子に分かち、これらを自宅に持ち帰り、屋根の上に投げ上げて火防のまじないとする。

 「くろこげの餅見失ふどんどかな」犀星

八天宮祭(火防神祭) 8月第1日曜日(その年により変更あり)

 歴史は古いが起源は詳らかではない。当社は、明治以前より八天宮を火伏(火防)の神としてお祀りしているが、古老の言に拠れば江戸時代桑名藩主の命により始まったとされる(謂われや八天宮の詳細については、額田神社(増田)の特殊神事「八天宮祭(火防神祭)の項参照)。

 祭りは現在、8月第1日曜日に猿王祭(当社の特殊神事、別途掲載)と併せて斎行されている。平成28年までは寒中の12月中旬に行っていたが、氏子の負担軽減のため翌29年より8月に変更した。また、かつては、当該神事で清めた水を村に持ち帰り各戸に水打ちする習わしがあったが、これも氏子の高齢化のため平成28年より取りやめ、祭事の行われる境内から村の方向に水打ちすることで代替している(希望者は水を持ち帰り各戸で水打ちをしている)。 

猿王祭 8月第1日曜日(その年により変更あり)

 村の古老の伝によれば、其の昔、額田村の周辺に一群の猿が生息しており、時期になると畑の作物や柿等の収穫物を食したり荒らすなどの行為が頻発していた。これを見かねた村人は諸策を講じこれを凌いでいたが、ある時猿が畑の近くに寄ってきて追い払っても逃げようとしなかったため、村人が鉄砲を向けたところ、助けてくれというようなしぐさをしたもののこれを撃ち殺したという。近寄ってその死骸を確かめたところ子を身籠った雌の猿であったという。その後村には洪水や日照りなど天変地異が続いたことから、村ではこれを母子猿の祟りと恐れてこの御霊を弔うため小社を建てて手厚く葬ったところ正常に復したとされる。村ではこの母子猿の御霊を「猿の御魂」として、毎年8月第1日曜日に猿王祭として斎行し御霊鎮めを行っている。これはまた五穀豊穣への祈りでもある。

(注) 当社ではこのほか、東名阪自動車道の敷設に伴い昭和40年代末に切り倒された一本松の巨木の切り株を境内に残し、一本松竜王社として「一本松御魂・竜王御魂」を祀っている。この一本松は明治から昭和に掛けて、員弁街道の往還で額田村の目印とされた巨木で、水の神である龍神が鎮まっているとも言われていた。伐採工事に当たっては、その神に触れることを怖れ中々着手に至らなかったが、伐採の後、携わった人達に怪我人が相次いだことから、遂に御魂を一本松・龍神の御魂として弔うこととし、その後これを当社境内にてお祀りしている。

神社
コード
4201071
鎮座地 桑名市大字額田 711
御祭神 《主》意冨伊我都命、《配》天照大御神、天津彦根命
祭祀 例祭  10月16日
郷社祭 4月28日