桑名神社 – くわなじんじゃ –

由 緒
桑名神社(旧称三崎大明神)は『延喜式』に其名見える古社で、祭神は天照大御神の第三の御子天津彦根命とこの大神の御子天久々斯比乃命の二柱である。天津彦根命は御子孫の殊にご繁栄になった神であり、天久々比斯乃命は御名の如く神徳の霊妙な神で、即ち桑名首の祖神であるので一郡の開祖と仰がれた。その神裔の宗家は代々土公を主宰して祖宗の御社に仕えられた。大化の改新の後も郡司となって当郡を領宰した。上古から桑名神社を地主神とも称し郡府の総社として朝廷また幕府等の尊崇も篤く、造営なども総て桑名城主の管理であった。明治26年本殿その他の大改造が行われたが昭和20年の戦災により焼亡し同29年に再興した。現在の本殿は昭和59年の造営になる。特殊神事
石取祭 8月第1日曜とその前日
石取御神事は、桑名神社の大祭「前期桑名祭(比与利祭)」の中の一神事であったのが、宝暦年間に神社の祭礼として独立した神事である。
比与利祭というのは、この祭を行うために桑名市南郊の町屋川に行き、禊祓し、石を運ぶ途中ヒョウリヒョウリと笛を吹き謡ったのから起こって遂にヒヨリ祭というようになったとされるが、諸説あり定かではない。
比与利祭は、石取御神事、流鏑馬神事、練り物神事など合わせたものでありその起源は以下の説があげられる。
一、石占(いしうら)の説
石によって神意を占う習俗で、石を持って重く感じたり軽く感じることにより神意を判断したり、石を投げて落ちる状態により、これを占う。
二、社地修理の説
神社の地は海川が近く、地が低いので納涼のはじめに氏子の者が町屋川より石を拾って来て社地に敷き施したが、七夕の行事と合して徐々に盛んになった。
三、流鏑馬の馬場修理の説
比与利祭の流鏑馬神事を行うので、その馬場を修理するために町屋川より石を運んだ。
以上の諸説があるが、氏子が町屋川で禊して清浄な栗石を運んで社地に敷くのは単なる低湿の社地や馬場を修理する為のみではなく、私たちの祖先は石を生きて生長するものと考え、永遠性を認めたので、神霊の憑依するべきとものとの信仰を持っていた。
以上の諸説があるが、氏子が町屋川で禊して清浄な栗石を運んで社地に敷くのは単なる低湿の社地や馬場を修理する為のみではなく、私たちの祖先は石を生きて生長するものと考え、永遠性を認めたので、神霊の憑依するべきとものとの信仰を持っていた。
つまり桑名の氏人の祖先を祀るために祭場を設け、神様を迎える準備をするのが石取祭である。
現在、石取祭は太鼓や鉦を打ち鳴らし「日本一やかましい祭」といわれ、勇壮無比な町人の姿と、豪華絢爛な祭車による祭礼が注目されるが、町屋川より清浄な栗石を運ぶ文化は変わることなく継承されている。

| 神社 コード |
4201051 |
|---|---|
| 鎮座地 | 桑名市本町 46 |
| 電話番号 | 0594-22-1913 |
| 御祭神 | 天津彦根命・天久々斯比乃命 |
| 祭祀 | 歳旦祭・祈年祭・初午祭・合祀社祭・石取祭・比与利祭・新嘗祭・除夜祭 |
| WEB サイト |
http://www.kuwanasousha.org/ |
