古野八幡社 – このはちまんしゃ –



由 緒
『神社明細帳』も創祀を不詳と伝えるのみである。『勢陽五鈴遺響』によれば、木野(古野)は上占より多度神領の地と伝えており、或いは当社も何らかの関係を有していたと思われる。近財には古野村の産土神として篤く村民に崇敬されていた。特殊神事
青池神社祭 4月第1日曜日
古野八幡社の鎮座地より山奥に青池神社があり、次のような神話が伝えられ、現在でも祭典が行われている。
青池神話
古野の多度川上流、桃谷というところに、すすきがふちという大きな池がありました。この池は、竜神様の住む池として、村人から「青池さん」と親しまれ、敬われてきたのでした。池のまわりには、かしともみじの木がうっそうと おいしげり、もみじの根元に小さなほこらをまつって、村人がお守りしてきたと言われています。
この「青池さん」は、お百姓には特に大切な神様で、雨のふらない時は、「青池さん」に出向いて雨ごい神事を行い、竜神様のお力で雨をふらせてもらおうと祈ったそうです。神事が行われた二、三日後には、必ず雨がふったので、古野ばかりでなく近くの人たちからも喜ばれ、敬われていました。この「青池さん」のことを「名きぬがふち」と呼ばれていたことも聞いていますが、それにはこんな言い伝えがあったのです。
むかしむかし、伊勢の国、松阪に住むねぎに「きぬ」という名の娘がおったそうな。仲のいい夫婦の一人娘として、たいそうかわいがられて育てられておった。
ところが、きぬが大きくなるにつれ、だれに聞いたかどうして知ったか、遠くはなれた古野の「青池」が見たいと言い出し、両親をこまらせたんだと。 きぬに毎日のようにせがまれて、父親もしかたなく決心し、「青池」を見にいくことにした。
ふたりで見ず知らずの土地をたずね、村人に「青池」への道を教えてもらい、けわしい山道を登り、ようやくこの池にたどりついた。
まわり一面木々にかこまれ、昼なおうす暗い谷間にさしこむ日の光が、池の水面にうつる木々のかげにキラキラと輝いておった。すいこまれそうな深い青色の池からは、今にも何かが飛びだすかのようにも思われたそうな。
しばらく二人でその池に見入っていたが、そのうち、父親は、さびしさとこわさを感じ、
「そろそろ帰ろう。」
と声をかけた。
しかし、なぜかきぬは思いつめたようにだまっている。また父親が声をかけようとすると、きぬはそこから一瞬ざんぶとばかりに池にとびこみ、姿をけしてしまったそうな。
おどろいた父親は、
「きぬー、きぬー。」
と、気もくるわんとばかりに呼んだ。
すると、池の水がはもんとなって動き、「ザザーッ。」という音とともに姿をあらわしたのは、きぬではなく、見るもおそろしい竜。
父親は、きもをつぶさんとばかりにおどろいたが、おそるおそる「お前は、きぬか」と聞くと、竜はもとの娘の姿にもどったそうな。そして、父親の前に両手をつき、涙を流して、
「お父様、もともとわたしはこの池にすむ竜なのです。病気や不幸な事情で苦しんでいる人々をすくおうと、お母様のおなかに身ごもり、人間として生まれたのですが、この池が恋しくなって来てしまいました。お父様、お母様には、今日まで育てていただいてありがとうございました。しかし、わたしのこのような姿を見られてしまったからには、親子としていっしょにくらすことはできません。おふたりには、悲しい思いをさせてもうしわけありませんが、ここでお別れしなければなりません。親不孝をおゆるしください。ごおんは一生忘れません。おふたりの身の上は、わたしがいつもお守りいたしております。」
と言いのこし、再び池の中にざんぶと水音をたてて姿をけしたそうな。 そして、それっきり姿をあらわすことはなかったんだと。
父親は泣きの涙で、別れをおしみながらも、ひとりさびしく松阪に帰ったそうな。
出展(古野・西田金五郎さんより 前田里美さん・再話)
「名きぬがふち」とも呼ばれたこの「青池」は、自然災害により埋まってしまったため、現在は当時あったところより、一キロメートルほど多度川を下った場所に、新たにお社を建て、古野地区の自治会長を始め、地区の役員が参列し、祭典をし、その際、地域の平穏を願いお供えした赤飯を川に撒くのはこの神話が基であると伺える。
| 神社 コード |
4201017 |
|---|---|
| 鎮座地 | 桑名市多度町古野 1324 |
| 御祭神 | 《主》品陀和気命、《合》白山比咩命、大山津見神、火之夜芸速男命、天照大神、大山咋神、建速須佐之男神 |
| 祭祀 | 祈年祭・青池祭・野上祭・天王山王神明社祭・例祭・新嘗祭・大祓 |
